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小さなギモン調べてみました!

建築・不動産から言葉のトリビアまで、仕事の中で見聞きした小さなギモンを調べて報告していきます。

佐賀の話§2

さて、前回の続きです。

佐賀を訪問し、幕末維新博覧会を見学し、
その後、その会場となっている佐賀城址を散歩した後、
以降訪問した先を順次ご紹介します。

弊社で出している「マイザニュース」の最新号でも、
弊社代表がレポートを書いているので、機会があれば、
そちらもご覧ください。

それぞれの訪問先の詳細は、ネットですぐに調べられると思うので、
すぐに出てこなさそうな部分を中心に、ご紹介したいと思います。

●祐徳稲荷神社

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祐徳稲荷は、京都の清水寺に似た「懸造(かけづくり)」または「舞台造」と言われる、
傾斜地に柱を組んで高い場所に本殿が作られた、特徴的な造りで、
稲荷神社の朱色もあいまって、かなりインパクトのある外観ではあります。

懸造は、そもそもは、崖のような急傾斜地に神殿を建てようとすると、
どうしたって、平地が無いですから、必然的に下の方から柱を建てなくてはならないわけで、
結果、見上げるとこのような造りとなるわけです。

全ての懸造が、清水寺のような舞台を持っているわけではありませんが、
懸造で神殿を建てるような場所は、正面が当然開放感溢れる眺望となるので、
そこで神にささげる舞を踊れるように舞台としたものが登場したようです。
つまり、あの「清水の舞台」は、解放された空間側(空の方向)が、
神がいる観客席側で、奉納舞も当然、外側を向いて行われるので、
人間が見るための観客席は無いのですね。

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祐徳稲荷の懸造の格子状の柱は、
昭和の時代に焼失し建替えられた際に「鉄筋コンクリート」になっていまして、
少しばかり情緒に欠けるかもしれません。

個人的には、ここの神紋(神社の家紋)になっている、
杏葉紋(ぎょうようもん)」が、佐賀県以外ではなかなか見ない紋なので、
その部分で「紋萌え」でした。gyo.jpg

「杏葉紋」は、元は、豊後の戦国大名:大友氏の家紋でしたが、
その後、大友氏を倒した肥前の龍造寺氏、さらにその後、鍋島氏へと受け継がれ、
龍造寺氏も鍋島氏も元々の自家の家紋を変更して、
この「杏葉紋」を使用するほど、九州北部・肥前では圧倒的な人気と権威があったようです。

結果、鍋島氏と何らかの関係のある、寺社仏閣、屋敷等々にこの「杏葉紋」が掲げられています。

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その他珍しいと言えば、本殿に上がるためのエレベーターが設置されている事。

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但し、私たちが行った時には、既に営業終了してましたが。
平日の営業時間は9時から16時で、300円。おみくじ付。

祐徳稲荷神社のHPでは、自社を「日本三大稲荷の一つ」とアピールしていますが、
この「三大」、誰かが決めたわけではなく、言ったもん勝ちの感があります。

稲荷神社の総本山である、「京都の伏見稲荷」は誰も異存がないとしても、
その他で、自身のHPで「日本三大稲荷の一つ」と言っている神社が、
「笠間稲荷神社(茨木)」「祐徳稲荷神社(佐賀)」「最上稲荷(岡山)」と三つあり、
伏見稲荷も含めると、この時点で既に四つあります。

他にも「豊川稲荷(東京)」とか「竹駒神社(宮城)」とか、
自身のHPには明記していないけど、なんとなくそう思われている
(現地の看板に書いてあったり、誰かがそう言って紹介していたりする)
稲荷神社は10社以上はあり、五大稲荷、七大稲荷、十大稲荷、等、
多少控えめに言っているところも含めると、Wiki様の調べでも25社はあるようで。

そもそも稲荷神社は、全国に50,000社はあると言われているので、
どこもその中で存在感をアピールしたいのでしょうね。
神社の総数は、神社本庁によると、約8.1万社ですが、
ここには小さな社(やしろ)は含まれていないので、
実数は30万社以上と言われており、そのうちの5万社が稲荷神社ですからねぇ。

●九州陶磁文化館

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佐賀と言えば、伊万里、有田、唐津、と、焼き物が有名。
で、このような施設があるわけで、
つい先日も「ブラタモリ」で紹介されていました。

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その「ブラタモリ」で、タモリさんに解説していた方が、
ここの鈴田館長なのですが、その館長が、今回の佐賀研修を企画した方の
義兄ということで、私達もその話を直接聞けました。

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印象に残っているのは、この焼き物。
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下のくぼんでいるのは欠けているのではなく、
あごひげ対応なんですって。
ヨーロッパでのニーズに合わせて作られていたことが分かります。
使い方までは聞かなかったので、わかりませんが。

●名護屋城址

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名護屋城は、秀吉の朝鮮出兵の前線基地としてつくられたお城。
今は、"跡"しかありませんが、
当時(1593年頃)は周辺に全国諸大名の陣も作られ、
最大時は周辺人口が10万人(一説には20万人)にもなったとの事。IMG_5706.JPG

江戸幕府が開かれる前の話ですから、
当時としては、瞬間的には、京都、大阪に次ぐ
日本第三の都市だったのかもしれません。

秀吉の死により朝鮮出兵が撤退となったのち、
江戸時代になり城は解体されたそうですが、
この城の大手門は、我らが伊達政宗が持って帰り、
仙台城の大手門として移築されたとの事です。IMG_5750.JPG

実際、大陸に向う海が見渡せる場所なので、
この地が選ばれたのでしょうが、
秀吉は地元「名古屋」(当時は「那古野」)と
同じ「ナゴヤ」と呼ばれる「名護屋」を気に入って、
ここに築城を決めた、とも。IMG_5725.JPG

城址に隣接する佐賀県立名護屋城博物館/佐賀ミュージアムズも
無料で見学できる範囲だけでも十分見ごたえがあって、
佐賀に行く機会があれば、是非とも立ち寄る先だと思います。
正直なところ、仙台城址より見ごたえあるし。IMG_5746.JPG

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で、名護屋城址に行く際には、
先に佐賀ミュージアムズによることをお勧めします。

いや、展示物自体を見るのは、後でもいいのですが、
ここの受付で、タブレットを無償で借りることができ、
これを使うと、建物の無い城址を見学しながら、
その場所にタブレットをかざすと、当時の建物が見られるという、
「バーチャル名護屋城」が体験できるのです。

天守跡まで結構道のりがあり、
基本的には"城址"で、解説板と景色以外、見るものは無いのですが、
これがあれば、かなり楽しいハズ。

残念ながら、私たち、城址を見てからミュージアムに行って、
この貸出しを知ったので、体験できずじまいでした。
もう一度行くには、時間もなかったので、とても残念でした。

・・・・と、今回はここまで。

次回に続きます。

この記事を書いた人

斉藤 一則

斉藤 一則(株式会社マイザ)

事業企画担当。
遊休地や低利用建物の効率化提案から賃貸管理・リフォームサポートまで、建築・不動産関係が専門。
旅行好き。

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