小さなギモン調べてみました!

建築・不動産から言葉のトリビアまで、仕事の中で見聞きした小さなギモンを調べて報告していきます。

今年、平成29年は、伊達政宗公生誕450周年ということで、
色々とイベントもあるようですが、
今回は、私的な視点で、「伊達」ネタをご紹介します。

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先日、ひょんなことから、
「要説 宮城の郷土史」
という本を見る機会がありました。

これは、昭和56年に出された非売品の本、
「文書による郷土的なレファレンス質問に対する回答事例第一」
を昭和58年に、上記題名で復刻発行したもので、
宮城に関する、かなりマニアックな質問130に対して、
かなり詳細に回答している本です。

この中のQ&Aの一つ一つが、みな、
ブログネタになりそうなものなので、いずれ小出しにしたいと思いますが、
今回紹介したいのは、その中にあった質問。

77「伊達」の正しい読み方

というものです。
「77」と言うのは、この本の章立てでの番号です。


「伊達」は「だて」でしょう!って普通に思っていましたが、
考えてみると、「いたち」と変読する人もいるくらいなので、
確かに不思議。

回答には、以下の様に書かれていました。(以下、上記本の引用)

・・・・・・・・・・

加美郡色麻村にある伊達神社を「いだてじんじゃ」といっていますが、
「伊達」を「いだて」と 読むのは正しいのでしょうか。



「伊達」を「いだて」と読むことについて「大日本地名辞書」第7巻 (吉田東伍)、
「伊達行朝 朝臣勤王事歴」巻之1 (大槻文彦)、「伊達家史議談」巻之1 (伊達邦宗)
等に記載があります。
それらによりますと、「伊達」は本来「いだて」と読むのが正しいとされています。
もともと「いだて」という発音に「伊達」の漢字が当てられたものです。
それが「だて」と読まれることもあるのは、「いまだ→まだ」・「いだく→だく」
「いでは→では」・「いばら→ばら」のような日本語の「脱い」音変化であるといわれます。

・・・・・・・・・


ですって。
しかも、「答」は、その後も各資料を提示しながら、以下の様な事実が出ています。

・貞山公(政宗)が遣欧使節を出したときのローマ法皇への書簡での表記も、
「DATE」ではなく「IDATE」と書かれている。
・明治維新前まで、伊達家では「伊達」にフリガナをふる時は「いだて」と書いていた。
・いつから「だて」と言うようになったのかはわからないが、本来「いでわ」と
読むべき「出羽」が、同じように「い」がとれて「でわ」になったのと同じころでは?


って、事は、政宗公は自身の事を
「わしが、だて まさむね、じゃ」
と、言ったことは無く、言ったとしても、
「わしが、いだて まさむね じゃ」
だったという事ですよね。

日本語で、発音の脱落や表記と読みが相違してしまう事は結構あるので、
元々「いだて」だったのが「だて」になったのは、わかるとしても、
それはかなり昔にそうなっていて、少なくとも「伊達家」が起こった時には、
すでに「だて」だと思っていたので、その点がかなり意外でした。

「I♡DATE」
って、Tシャツとかあったように思いますが、
ある意味、大正解になっていたというキセキ。

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先日、ひょんなことから「バナナのたたき売り」を調べていたら、
(どんな「ひょん」なんだよ!って、自分ツッコミ)
「バナナのたたき売り」発祥の門司(福岡県北九州市)に伝わる、
たたきうりの口上にこんな一節があることを発見しました。

以下、引用

・・・・・・・・・・

春よ3月 春雨に 弥生のお空に 桜散る 
奥州仙台 伊達公が 
何でバナちゃんに ほれなんだ バナちゃんの因縁 
聞かそうか
生まれは台湾 台中の 阿里山麓の 片田舎 台湾娘に 見染められ
ポーッと色気の さすうちに 国定忠治じゃ ないけれど 
一房二房 もぎとられ 唐丸かごにと 詰められて 阿里山麓を 後にして
ガタゴトお汽車に 揺すられて 着いた所が 基隆港
基隆港を 船出して 金波銀波の 波を越え 海原遠き 船の旅 
艱難辛苦の 暁に ようやく着いたが 門司ミナト 門司は九州の 大都会
仲仕の声も 勇ましく エンヤラドッコイ かけ声で 問屋の室に 入れられて
夏は氷で冷やされて 冬は電気で うむされて 八〇何度の 高熱で
黄色くお色気 ついた頃 バナナ市場に 持ち出され
一房なんぼの たたき売り サアサア買った サア買った


・・・・・・・・・・

この口上、伊達政宗公と「バナちゃん」の因縁を話す、
といいながら、因縁は全く出てきません。

「ほれなんだ」は、「惚れなかったのだ?」の意味なんですかね?

台湾から山を越え海を越え運ばれてきたって事しか説明してないし。
ちなみに「基隆港」は「キールン港」で、台湾の港です。

バナナの輸入が始まったのは、1900年ごろ、明治も後半の頃と言われており、
輸送、追熟、管理が難しかった当時は、追熟に失敗したバナナを
食べられるうちに、早期に売り切るため、こんな口上と共に、
たたき売りが登場したのだ、とか。

当然、伊達公は、バナナの輸入が始まった頃には故人です。
遣欧使節を出した政宗なら、その当時に海外の食べ物として、
使節団を通じて入手し、食べたたりした記録があるのかと思いきや、
私の調べでは、発見できませんでした。

そもそも、この口上に何故、「伊達公」が登場するのか、
少なくともネットから調べる範囲では、わからなかったので、
いずれ機会があれば、門司に行って、
門司港レトロ地区の「関門海峡ミュージアム(海峡ドラマシップ)」
の建物内にある無料ゾーン「海峡レトロ通り」2階の
「門司港 バナナ資料室」で、確認したいです。

バナナ資料室 レコード

バナナ資料館は、こんなところのようです。

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もう少し、ネタがあったのですが、
長くなったので、今回はこのへんで、やめときます。
機会があれば、またご紹介したいと思います。

この記事を書いた人

斉藤 一則

斉藤 一則(株式会社マイザ)

事業企画担当。
遊休地や低利用建物の効率化提案から賃貸管理・リフォームサポートまで、建築・不動産関係が専門。
旅行好き。

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