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小さなギモン調べてみました!

建築・不動産から言葉のトリビアまで、仕事の中で見聞きした小さなギモンを調べて報告していきます。

姥神社の話(来月マチアルキツアーあります)

前2回分、病気でちゃんと書けなくてすいません。

でも、ブログ当番の合間に入院するという奇跡がおこり、なんとか自分の当番は死守できてよかったです。
おかげさまで、大分よくなってきています。
心配してくださった方々には、心より御礼を。
また、仕事上でご迷惑をおかけしてしまった方々には、心よりお詫びを。

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さて、まだ、正式な告知は無いようですが、来月後半、僭越ながら私がガイドをさせて頂きますマチアルキツアーの第2弾が予定されています。

今回は、「薬師堂」界隈を2時間程度歩くツアーなのですが、例によって、個人的に興味がある話が中心になるので、「薬師堂」そのものに関して知りたいという方には、あまり参考にならないような話に終始すると思われます。

今回は、そのツアーの中で紹介させていただく予定の「姥神社」についてのネタを、ツアー前にちょっとご紹介、と思います。

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薬師堂のある陸奥国分寺跡から西に少し行ったところに、現在の陸奥国分寺があるのですが、その駐車場の一角に、二つの小さな神社が並んで建っています。向かって右が「稲荷大明神(紫神社)」向かって左が今回ご紹介する「姥神社」(うばじんじゃ)です。

IMG_0116.JPG

元は、五橋付近の清水小路にあって、子供の百日咳治癒をはじめ、病気治癒や商売繁盛の神様として篤い信仰を集めていたそうですが、昭和40年に「一神二仏合祀」として、陸奥国分寺の「元薬師」及び正善院(元の場所は、古城の東北少年院北側)にあった「聖観音」とともにこの地に一つの社としてまとめられたようです。

 

その「姥神社」の祭神は「豊玉姫命(とよたまひめのみこと)です。

この「豊玉姫」は、古事記・日本書紀の説話「海幸山幸」で有名な「山幸彦」(火遠理命:ほおりのみこと)の奥さんになる人で、初代天皇である神武天皇の祖母になります。

この「姫」様が祀られている神社が何故「姥」なのか、というのが今回のテーマ。

 

「海幸山幸」の話は、なんとなくは覚えている人が多いかと思いますが、簡単におさらいすると・・・

 

兄であり海の神である海幸彦と弟で山の神である山幸彦が、ある日お互いの猟具を交換します。

ところが山幸彦は、海幸彦から借りた釣り針をなくしてしまい、海幸彦から無理難題を突き付けられ困り果てます。

そこに「塩土老翁神(しおつちおじのかみ:鹽竈神社別宮の祭神)という神様が出てきて、最終的に水の神様である「大綿津見神(おおわたつみのかみ)が住む「綿津見の宮」へ案内します。

(「わたつみ」を漢字変換すると「海神」とでます。「わた」とは古代の言葉で「海」を表し、「つ」は接続の「の」、「み」は「神」を表すので、「わた・つ・み」は直接「海の神」を表していています)

ここで、山幸彦は大綿津見神の娘である「豊玉姫命」と結婚し、3年を過ごしますが、いよいよ地上に帰ることになり、無くした釣り針と共に霊力のある「玉」を持ち帰り、いじわるした海幸彦を懲らしめ、服従させます。

その後、二人は子供を産み・・・・

 

と、いう話です。

 

この話、「塩土老翁神」が「亀」で、海の神様の住まいである「綿津見の宮」が「竜宮城」、「豊玉姫」が「乙姫」とすると、山幸彦が「浦島太郎」ということで、「浦島太郎」のお話の元になっているといわれています。

 

で、このあと、豊玉姫は山幸彦の子供を身ごもるのですが、天の神様の家系である山幸彦の子供を、豊玉姫の実家である海の中で産むわけにはいかないと、海辺の地上に子供を産むための「産屋」を作ることになります。

その「産屋」は、海の神様の家系のしきたりに従って、普通であれば「茅(かや)」で葺(ふ)く屋根を、(あの鵜飼に使われる、鳥の鵜)の「羽」で葺くことになり、作業を進めましたが、屋根が葺き終る前に「豊玉姫」は産気づき、作りかけの産屋の中で子供が生まれてしまいました。

そこで、生まれた子供には、鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)=「鵜の羽の葺草(かや=茅)で屋根を葺いていたけれど、屋根が葺き終る前に生まれてしまった、命」、という名前が付けられました。

この「鵜葺草葺不合命」が神武天皇のお父さんになります。

(古事記には、「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」(あまつひこひこなぎさたてうがやふきあえずのみこと)と、長い名前で出ています。これは、「天津」が「天の」、「日高日子」は「彦彦」の意で子孫の男子、「波限建」は「波打ち際に建てた」の意味なので、全部を訳すと「天の神様の子孫として、波打ち際に建てた、鵜の羽の葺草(かや=茅)の屋根が、葺き終る前に生まれてしまった、命」ということになります。他の神様の命名にはみられない、かなり特殊な名前です。)

また、「豊玉姫」の出産に際しては、「本来の姿(海の神様の姿)に戻るから、のぞいちゃだめよ」、と、豊玉姫は山幸彦に言うのですが、山幸彦はやっぱり我慢(って、何の我慢か分かりませんが)できなくて覗いてしまい、豊玉姫は「八尋和邇」(やひろわに)に姿を変えて海に帰ってしまいます。

(「わに」は古語では「鮫」のことと言われています。「因幡の白兎」の話に出てくる「わに」も「鰐」ではなくて「鮫」なんですね。「八尋」は大きいの意味ですから、「大きなサメ」は「龍」にもたとえられています。)

そんなことから、「豊玉姫」は「龍神」として、水の神様としても扱われます。

帰っちゃいましたが、やっぱり自分の子供のことは心配なので、豊玉姫は自分の妹の「玉依姫命」(たまよりひめのみこと)を自分の代わりに派遣して、子供の世話をさせることになります。

 

さて、ここでいよいよ今回のテーマ、「豊玉姫命」を祀る神社が何故「姥神社」か?、という理由。

元々は「豊玉姫」が入った産屋にちなんで、鵜の羽の社=「鵜羽神社(うばじんじゃ)と呼ばれ、表記されていたのです。

それが、「うば」という音と、子供を産み育てる「乳母」や「姥」のイメージ等との混同があり、いつのまにか表記だけ「姥神社」となったのではないかと考えられます。

 

「姥」が「鵜羽」だったというのを知るだけでも、神社を見る目が変わったりしないですか?

個人的にはこういう話が大好物だったりするんですよねぇ。

また、「豊玉姫」の話を聞けば、この神様が子供の病気を治したり、水の神様だったりという性格を持っていることもうなずけるのではないかと思います。

 

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「姥神社」だけでこんだけの話になるツアーなので、全体も推して知るべしですが、よろしかったら参加してください。

次号の「まっくる」で募集があると思います。

もっとも、全体で2時間という時間制限があるので、この話ももう少し端折らないといけないとは思いますが。

 

とはいえ、前回も「ちなみに・・・」とか言いながら、その場で思い出した話を付け足してしまい時間オーバーしてしまったんですけどね。

だってこの話に関連してるものでも、

「海幸山幸は、間にもう一人兄弟がいて、実は三兄弟」とか、

「鵜葺草葺不合命は、海に帰ってしまったお母さんの豊玉姫の代わりに育てに来た豊玉姫の妹の「玉依姫」と結婚する。つまり、母親代わりの人との歳の差婚」とか、

「音(オン)が残って文字が変わる他の例の話」等々となっていき、流れで「そういえば『下野』(しもつけ)という地名なんかは、元々は『下毛野』のだったのが・・・・」とか、

みたいになっちゃうんですよねぇ。

 

この記事を書いた人

斉藤 一則

斉藤 一則(株式会社マイザ)

事業企画担当。
遊休地や低利用建物の効率化提案から賃貸管理・リフォームサポートまで、建築・不動産関係が専門。
旅行好き。

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