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小さなギモン調べてみました!

建築・不動産から言葉のトリビアまで、仕事の中で見聞きした小さなギモンを調べて報告していきます。

狐小路

最近、仙台市電について調べる機会がありまして、昭和11年の仙台市内地図を見ていたら、その仙台市電の電停(今時使われない言葉ですが、電車の停留所のことを「電停」と言います。路面電車の場合は、「駅」ではないんですね)の名前に表題の「狐小路」というのを見つけまして、面白いなぁ、と思いまして。

仙台市電と言っても、40歳以上の人しか記憶にはないと思いますが、1926年(大正15年)11月25日から1976年(昭和51年)3月31日まで、仙台市交通局が運営していた路面電車が仙台市電です。

市内中心部と長町方面、八幡方面、原町方面等に行く路線を持っていましたが、すべての路線が同時に存在したことはなく、伸延と改廃を繰り返しながら、50年間仙台の町を走っていました。

で、「狐小路」の電停はどこにあったかといいますと、現在の仙台裁判所前あたり、五橋通と晩翠通の交差点近くにある歩道橋付近だったようです。

当然「狐小路」という小路があったからこの名前の電停があったわけで、そうすると「狐小路」そのものはどこかといえば、現在の柳町通から片平丁小学校の脇を通って大町通りまでの間が「狐小路」と呼ばれていたそうです。

その部分の昭和11年当時の地図はこんな感じです。
赤いラインが市電の線路、その中の白抜き文字が電停の名前で、その他、通り名も書かれています。

狐小路.JPG

当時は当然のごとく青葉通も五橋通もありませんし、現在の晩翠通りも拡幅整備されていませんので、大町通までが「狐小路」、その先が細横丁になっています。

現在の五橋通から先は晩翠通になってしまいましたが、実は柳町通から五橋通までの間は現在も「狐小路」という名称が残っていて、裁判所前の交差点付近に、南町通の紹介と共に辻票が立っており、そこに以下の様な解説が書かれています。

狐小路 キツネコウジ
袋町と良覚院丁の間で、大身の屋敷や良覚院の東裏、本荒町の西裏の細道で藪が多く藩政中期まで狐が出没したという。のち東側は侍屋敷に割られ、明治には旧原田甲斐屋敷跡に裁判所、伹木土佐邸跡は片平丁小学校となり、袋町突当りは監獄署のカラタチ垣であった。市電開通時南町通と交った。

・・・狐が出没。

今では想像もつきませんが、いつ頃まで狐は居たんでしょうか。

ちなみにこの「狐小路」は仙台八小路の一つになっていまして、その八小路というのは、以下のとおりです。


●仙台八小路
・大名小路(だいみょうこうじ)・・・今の片平丁通り
・清水小路(しみずこうじ)・・・七十七銀行荒町支店前から北目町通りのガードあたりまで
・狐 小路(きつねこうじ)・・・前述のとおり
・元寺小路(もとてらこうじ)・・・仙台駅の北側で花京院通りと名掛丁との間を平行に東西に走る通り。
                  今は、宮城野区側のみ地名として残っている。
・桜小路(さくらこうじ)・・・現在の東北大学北門付近から構内を南北に抜ける小路。今は無い。
・谷地小路(やちこうじ)・・・東七番丁通り
・連坊小路(れんぼうこうじ)・・・五橋交番から木ノ下あたりまで。「むにゃむにゃ通り」
・野干小路(やかんこうじ)・・・南町通と柳町通の間を平行に走る、現在のJR仙台駅構内を東西に
                  横切って東五番丁と東六番丁の間をつなぐ場所にあったが、今は無い。
                  ちなみに「野干」とは狐のこと。

現在の大体の位置も書き添えてみましたが、江戸時代の話なので、今はもう無い小路もありますし、馴染みのないものが大部分ではないでしょうか?

正直な所、私も連坊小路と元寺小路以外は知りませんでしたし。
尚、「新寺小路」は文字通り新しい小路なので、この八小路には入っていません。

話を戻します。


「狐小路」という名前の電停は、仙台のまちなか開発とともに無くなり、最終的には「裁判所前」という情緒も何もない名称に変わりましたので、仙台市電をご記憶の方でも「狐小路」という名称の「電停」を見たことがある方はもういらっしゃらないと思います。

まぁ市電そのものが無くなりましたから、今更どうという話でもないのですが、歴史的な背景のある名称は、残れば残るほど良いと個人的には思います。

そういう意味では、新規開通する仙台市営地下鉄東西線も、例えば「(仮称)一番町駅」あたりの経路と駅の位置をもうちょっとずらして、「芭蕉の辻駅」とかなってたら、素敵だったのになぁ、等と考えてしまいます。

駅名や通り名に限らず、歴史的名称の保存に関しては、各方面で活動が有り、実際に残されているものも多々あるわけですが、何がしかの利便性や政治的な理由だけで消えていくのは、ちょっと寂しいですから、今後もできるだけ、多少形を変えてでも残って欲しいと思います。

画像は古い仙台の絵葉書です。写っているのは「芭蕉の辻」。
その昔は、やはりこの地が仙台の名所だったんだなぁ、とあらためて思います。

芭蕉の辻(はがき)2.JPG

前述の地図にもあるように、南町から芭蕉の辻まで、短い盲腸線のような市電が走っていた時代がありました。この絵葉書中央手前側のバスみたいなのが当時の仙台市電です。

この芭蕉の辻線は、創業からありましたが、1944年に廃止されましたので、この絵葉書は昭和初期のものと思われます。

現在でも国分町通りが、芭蕉の辻交差点から北側が細くなっているのは、この路面電車を通すため芭蕉の辻より南側の区間のみが拡幅されたからで、こんなところで、当時を偲ぶ痕跡に出会ったりもするのが、また、個人的には楽しかったりします。

この記事を書いた人

斉藤 一則

斉藤 一則(株式会社マイザ)

事業企画担当。
遊休地や低利用建物の効率化提案から賃貸管理・リフォームサポートまで、建築・不動産関係が専門。
旅行好き。

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