こんにちは。
これから「まちづくり つらつら草」と題して、まちづくりに係わるさまざまな話題を"つらつら"と勝手気ままにお届けしたいと思います。どんなブログになるか?お楽しみに!
さて、記念すべき第一回は、3年ほど前からまちづくりに係わっている仙台の中央市場、愛称いろは横丁についてのお話です。
いろは横丁は、約100軒の飲食店や物販店などが立ち並び、約1,000坪の規模を有する組合組織(中央市場商業協同組合)による仙台最大の横丁なんです。
昨年は、仙台市在住の作家、伊坂幸太郎さんの小説「重力ピエロ」の映画のロケ地として重要なシーンが撮影されるなどレトロブームと相まって仙台の話題のエリアとなっています。
いろは横丁の歴史を簡単に振り返ってみます。
(仙台空襲からの復興)
いろは横丁の歴史は、太平洋戦争時の仙台空襲の復興から始まりました。
すっかり焼け野原になってしまった仙台の街なかで、人々は道端に戸板やゴザを敷いて物を並べて売っていました。
ある人は蔵に眠っていた瀬戸物を、またある人は在庫があった下駄を・・・。
仙台駅前や一番町などにはそのような露店が立ち並び、買い物をする人々で賑わっていたそうです。
(露店から市場へ)
やがて、そのような露店商に声をかけて市場を作ろうという人々が出て、昭和21年3月に現在の場所で市場の話が持ち上がり、8月にはいろは横丁の前進となる「中央市場」が誕生しました。
(生活必需品から娯楽まで)
当時の「中央市場」の周辺には、松竹映画館や文化キネマといった映画館が立地し、さまざまな興業があり、日常の買い物から娯楽まで揃っている場所として、仙台で最も賑わっていました。なんと国分町よりにぎやかだったんです!
戦後の混乱期、仙台で最初に復興したのが「中央市場」、現在のいろは横丁なのです。ちなみに一番町二丁目三番地が愛称の由来となっています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回は、まちづくりの苦労話などを"つらつら"とお話します。