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マクロの眼

プロジェクトエンジニアを僭称(?)中

(FB転載)インテリジェント・コスモス計画のナゾ

1990年前後、いわゆるバブル前夜にセンダイ人は謎の盛り上がりにより、さまざまな研究開発組織を作ったり地下鉄作って政令指定都市にしてみたり巨大な観音像を建造してみたりしていた訳ですが、21世紀も18年が経過して、元号もヘイセイジャンプして令和になった最近、いろいろ総括する時期に来たようです。

2019年7月3日

ICR(インテリジェント・コスモス研究機構)、静かに解散。
https://www.kahoku.co.jp/tohokun.../201906/20190625_12033.html

<以下引用>

インテリジェント・コスモス研究機構の解散決定 新事業の創出担い30年

東北6県と新潟県の官民が出資する第三セクター、インテリジェント・コスモス研究機構(仙台市、ICR)は24日の株主総会で、解散に関する議案を承認した。1989年の設立以来、新ビジネス創出を推進した30年の歴史に幕を閉じた。
 青葉区のホテルであった総会には約70人が出席。担当者が解散理由や今後の見通しを説明し、議案を原案通り可決した。ICRの内田龍男社長は「東北と新潟の産学官連携に大きな基盤をつくり上げたと自負している。今後は清算の終結に向け努力する」と述べた。
 ICRによると、3月末現在の資本金は約85億円、累積赤字は約36億円。清算会社が年内にも未収債権の回収や未払い債務の弁済をして残余財産を確定し、株主に分配する。

<引用終わり>

奇しくも同じタイミングで、パークタウンのテクノプラザみやぎも解散。

バブル直前の昭和末から平成初めにかけて、仙台では第三セクターのR&Dセンターが、
・テクノプラザみやぎ(昭和63年1988))
・インテリジェントコスモス研究機構ICR(平成元年(1989))
・仙台ソフトウェアセンターNAViS(平成5年(1993))
立て続けに3つも設立されているんですね。
そしてその全てが、ここ1年半で解散

その投資額は甚大で、資本金だけでも3つ合わせると120億円近く、投資した自治体・会社・団体の総数は延べ250社を超える壮大なプロジェクト。
国内でもこれほと一地域でムーブメントが起こったのは仙台だけと言われていて、その「結末」が今現れていることに、個人的に「2019年の近未来にタイムリープ」した、なんとも不思議な感覚があり。これらの「結末」については、しかるべき方が総括してくださるでしょう。

2017-07-08 18.39.08.jpg(画像と本文は無関係ではありません)

この昭和末・平成初めの仙台の「熱量」については、15年ほど前にICR設立の事実上の「若手の核」だった阿部四郎先生と3年ほどお仕事をした際に、ずいぶんと聞かされました。(阿部四郎先生は、私のビジネススクールへの大学院推薦状を書いてくださった先生の内のおひとり)。
あの時代、実務で先導したのは当時の40代の若手の研究者だったこと。一方で、「研究者」が主導したことにより、ことごとくプロダクトアウトで思ったような成果がまだ出ていなかったこと(なので、仙台土着民の私が、産学官連携の仕事を一旦辞めてビジネススクールに行くことに非常に期待していただき、今だから言えますが「仙台に戻ってこい、ICRのポスト用意する」とまで言われた)。

あの時代に相次いで設立された3つの第三セクターについては、批判的な意見の方もいようかと思います。私も、阿部四郎先生の話を聞きながらも「前世紀の筋の悪いスキームだな」と客観を装ったものです。

しかし、自分が40代になった今、自分の能力や熱量、周りの同世代の能力や熱量を鑑みると、単なる時代背景だけではない、30年前の諸先輩方のあの時の活躍を思うと、私は何も言えなくなってしまう。
「平成の終わりから令和の初めにかけて、当時の30代40代の若手が死ぬほど働いて震災の復興を支えようとしてたけど、無駄だったね(藁)」
とか言われてしまうのではないかと。いずれ時代に、歴史に裁かれるのではないかと、その恐怖で私は何も言えなくなってしまうのでした。

<補足>

一応、各組織のスペックを記録(墓標)として。

(株)テクノプラザみやぎ
設立:昭和63年(1988年)3月
解散:令和元年(2019年)6月
資本金:約35億
第三セクター方式(公共:18億5千万、宮城県・仙台市・日本政策投資銀行・仙台商工会議所、民間:17億500万、三菱地所、七十七銀行、東北電力等38団体)

(株)インテリジェント・コスモス研究機構
設立:平成元年(1989年)
解散:令和元年(2019年)6月
資本金:約85億
第三セクター方式(214社・団体の出資)

(株)仙台ソフトウェアセンター(NAViS)
設立:平成5年(1993年)
解散:平成30年(2018年)3月
資本金:約9億円

よく巷では「センダイ人は保守的で人の足を引っ張りあうのが常で、大きな構想力が足りない」という話を様々な世代や分野で聞くわけですが、カサマ個人としてはこの「センダイ人」の部分を変えたバージョンを他の様々な地域でも聞いたことがあり、しまいには東京のビジネススクール時代には「日本人は保守的でルサンチマンがあり、欧米に比べ多くの人が構想力に欠ける。でも僕のヨーロッパでの同僚にも、実はそういうやつはいた。」なることを結構有名な先生がおっしゃっていて、ここまで来ると、もしやその弱点は日本人特有どころか人類共通の弱点なのではないか?などと思うわけです。

色々調べると、むしろ結構センダイ人は巨大観音を作ったり、一つの通りの街路樹全部に電球つけてみたり、商店街を紙で埋め尽くしてみたり、国の金が当てにできないなら地域の金を集積して3つもR&D組織を作ってみたり、無駄に構想力が発達しており、むしろ実務を担う人材が後に続かないというヒューマン・リソース・マネジメント(HRM)の問題の方が大きいのではないか、などと思うわけです。

一方、よくよく当時の東北インテリジェント・コスモス計画の資料を読み込むと、実は当時考えられていた情報化社会の先端の知見からロードマップがきちんと描かれており、しかも意外に当たっているどころか今でも目標とすべき知見があったりもする。

そうした視点でかつての三セクR&Dセンター軍を見ると、役所や他機関から出向と退職者のセカンドキャリアポストになり果てて前例主義の組織になってしまっていた21世紀での様子が思い出され、偉大なる先輩方の軌跡をから我々が学ぶべきは、構想大きくても小さくはじめ自分も出資した若いリーダーに最低10年は組織を任せるような、組織の開発の視点ではなかろうか、と思うわけです。

その意味では、第三セクターでスタートしていた時点で詰んでいたとも言え、あの熱量のタイミングで、みんなで盛り上がるのではなく、「いやあんたは金を出すべきじゃないよ」「あんたはいなくていいよ」という、冷静に引き算型の全体最適化ができる、ある意味で古典的なリーダーシップが新時代には必要なのかもしれない、などと思い、来るべき巨大加速器の構想を「観察者」属性のカサマは生ぬるく眺めているのでした。

そういえば、極東で発生した巨大災害の復興のための国家組織が出向者の集合体でリーダーシップがは(以下検閲)

この記事を書いた人

笠間 建

笠間建 (コミューナ・トランスレーション・デザイン有限責任事業組合)

事業連携担当。
プロジェクトエンジニアを僭称(?)中。PEは本来は工場オペレーション用語ですが、調査分析・事業企画・計画・実行など、プロジェクト全般を広義に「エンジニアリング」してきたキャリアパスで、他に良い表現が見つからないので。2008年9月から2010年8月まで、社会人学生として東京で貧乏大学院生生活を送っていましたが、2010年9月に無事修了して仙台に戻ってきました。
趣味は自転車、旅行、写真。

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