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ちょっと知りたい不動産の一口知識

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2019年12月のアーカイブ

関ヶ原の戦いが終わり、徳川家康の政権の元、伊達政宗は仙台の地へお国替えとなる。

1601年、政宗は仙台へ赴任するが、「さて、どこにお城を設けようか」と領内をくまなく探索したであろう。当時の仙台は青葉山、北山から南の広瀬川に面するところまでは「河岸段丘」となっており、それより東南は海までなだらかな仙台平野を形成していた。

「河岸段丘」では水の確保が難しく、当然に仙台平野の河口に居城を設ければ、物流にも便が良く、日本の多くの城はそのような場所に城を設けている例が多いが、政宗は天然の要塞(東南は広瀬川で、西北は渓谷と山である)である青葉山に居城を設けたのである。

防御が抜群でも広瀬川の川面は20~30m下にあり、「水の確保」が容易ではない。というより至難の場所であった。

そこで政宗は土木工事に優れた才能を持つ川村孫兵衛(元長州藩士)にその大役を任せるのである。孫兵衛は広瀬川の上流より水を引くため、隧道を掘り、樋を設けて水を流し延々70kmにわたり城下町に水を供給したのである。それが「四ツ谷用水」と言われ、現在ではほとんど姿を消しその姿をまともに見ることはできないが、今でも大崎八幡神社の太鼓橋下を流れており、工業用水として活用されている。四谷流露図.BMP

政宗の残した偉大なる土木事業を市民の皆様に是非知ってほしい、見てほしいと思っているが、それを復元するには行政と市民の力が必要となり、なかなか掛け声だけではできそうにないのだが、微力ながら手助けしたいと思っている。

この記事を書いた人

松本 真明

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