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小さなギモン調べてみました!

建築・不動産から言葉のトリビアまで、仕事の中で見聞きした小さなギモンを調べて報告していきます。

2019年7月のアーカイブ

毎回、大した内容の無い記事を書かせてもらっているこのブログですが、
一応、本業は不動産関係なので、今回は珍しくそれっぽい話を。

正直なところ、現在の仙台圏のマンション価格は、
高過ぎるんじゃないか、と、、感じてまして。

確かに、高くなる理由は、いくつか思い当たります。

・建築費の高騰
→震災直後は、資材・人材の確保が難しかった。
→東京オリンピックが決まって、資材・人材が都心に引っ張られた。
→働き方改革の影響もあり、物流の費用が嵩み始めた。
→復興需要で仕事がある建設会社は、薄利の民間事業を積極的に受注しない。

・(短期的な)需要増
→震災により、使えなくなった住宅も多かった。
→復興需要もあって、特に仙台市には人口が一時的に流入した。

・資金調達時の優遇
→被災世帯が使用できる支援金・義援金があった。(頭金)
→低金利での借り入れが可能であった。
→結果、分譲価格が上がっても、ローン支払い額に思ったほど大きくならなかった。

・その他
→消費税が上がる →今のうちに買った方が得?

分譲マンションの価格が上がっていくと、
それにつられて、中古マンションの価格も上がっていきます。
(相対的に中古マンションに割安感が出て、欲しい人が増える=需要が増える)

「中古マンションでさえ、この値段であるならば、
新築マンションならば、当然そういう価格だよね」
という、感じになって、
高い価格でも普通に見えてきてしまう。
と、いうような、
思考スパイラルに入ってしまっている一面もあるように思います。

各分譲業者さんも、高すぎれば売れないわけですから、
「高く売りたい」、というより、
「この値段になってしまう」、と言う事なんだとは思いますけれど。

それでも、景気が良くなって、収入が増えているのならば、
そんなに高くは感じないのかもしれませんが、
世の中的に、それほど給料が良くなってきている感じが
少なくとも個人的には、しないんですよね。

で、ちょっと、調べてみました。
下記は、宮城県の労働者の平均月収を過去60年分をグラフにしたものです。

宮城月収推移.jpg

一つのデータとして60年分まとめたものが見つけられなかったので、
幾つかのデータをつなぎ合わせ、かつ、算定基準にもブレがあるので、
正確なデータとは言い難いですし、色々と浮き沈みはありますが、
それでも、
「平成になってからの30年で、平均月収は約1.24倍」
位である事が分かりました。

宮城県全体でのデータですので、
仙台圏に限って言えば、額的にはもう少し収入も高いのだとは思いますし、
全平均なので、中央値でもありませんから、実態とのズレもある、
あくまで、参考としての数字ではありますが。

一方、これまた、正確なデータを確認できなかったので、
あくまで、印象としての数字ですが、
平成が始まったあたりのバブルの名残があった時でも、
新築マンションの価格は、2,000万円前後の物件が結構あり、
その後の震災のちょっと前くらいまででも、
多少の上下がありながらも、
平均値で4,000万円をこえるようなほどに高額な物件は、
あるにはありましたが、主流ではなかったように思います。

ところが、この数年、新築マンションの価格は高騰を続け、
昨年ぐらいから若干下がりはしたものの、それでも
仙台圏全体で平均すると、4,000万円を軽く超えていています。
(2018年上半期のデータで、平均4,169万円)

仙台圏のマンションの平均価格が初めて4,000万円台を超えたのは、
2015年だそうで、その2015年当時の日本経済新聞の記事では、
「仙台の新築マンション、平均4000万円超 バブル期の2割高」
という見出しのものがありました。
仙台圏の平均価格は、4,262万円で、
30年前のバブル期より2割高く、
震災前の頃よりは4割以上高くなっているという記事です。

「バブル期よりも2割高い」とすると、
4,262万÷1.2≒3.550万となりますが、
あの頃に、3,500万オーバーの物件は、
一部の大型(すごく広い)物件や高級立地、タワー上階等を除いて
それほど主流だったような記憶がありません。

「震災直前の頃より4割高い」とすると、
4,262万÷1.4≒3.040万となりますので、
その頃にはまだまだ2,000万円台の物件も
結構あったのは、分かると思います。

下記画像は、たまたま残っていた2005年(平成17年)頃の
長町エリアでの建築中分譲マンションに掲げられた看板です。

0502-1700.jpg

画像が悪くて恐縮ですが、
「3LDKが 1,700万円 台から」
って、書いてあります。
もちろん、「から」ですので、
平均価格はもっと上でしょうが、
それにしても、今から14年前の2005年(平成17年)でも
こんな感じです。

私の記憶では、30年前初めて仙台に来た頃、
90㎡の4LDKでも、1,000万円台の新築分譲がありました。
最新設備の駅近分譲マンションでも、
坪100万円=20坪で2,000万円を超えると、
なかなかの価格、という印象でした。

要は、この30年で、

「収入は2割ちょっとしか上がってないのに、
マンション価格は倍になった」

という、印象があるので、高く感じるのかなぁ、
というのが、私の個人的な意見です。

年収の5倍ちょっとで買えたものが、
年収の9倍近く出さないと買えなくなったわけで。

本来は、より正確なデータを表示すべきなのだとは思いますが、
そこまでの責任のある発言はできないので、
あくまで、個人的な印象、という範囲で、
ご了承願います。

ところで、先の年収データですが、
「昭和30年からの20年で月給が9.2倍」
「その後の10年でさらに1.8倍」
というデータが読み取れて、
1960年(昭和35年)の池田内閣による所得倍増計画もあり、
ものすごい勢いで収入が上がっているのがわかります。

グラフの傾きを見ても、
平成に入ってからの30年とその前の30年で、
明らかに違うのが分かります。
もちろん、物価も上がったわけですが、
未来に明るいイメージを持てたのは間違いなさそうで、
それが行き過ぎたのが、バブルだったのでしょうか。

また話が変わりますが、
「日本初の民間分譲マンション」と言えば
東京で分譲された「四谷コーポラス」という物件と言われており、
1956年(昭和31年)に売り出されました。

当時の価格は、3LDKで250万円
先のデータでの昭和31年における宮城県の平均月収は17,960円なので、
年収(12倍)にすると≒215,000円。
ここからすると、250万円という価格は、
年収の12倍近くになります。

でも、同じ統計によると、
当時(昭和31年)の東京での平均年収は約279,000円なので、
こちらからすると、250万円は、
年収の9倍弱

「令和」となった今、
仙台に住む我々が、現在の新築マンションに感じる価格感が、
昭和31年頃の東京のサラリーマンと同じくらいなのかなぁ、と。

もちろん、当時とは、
場所も物価も環境も時代も未来予想も、
何もかもが違いますから、軽々に「同じ」とは言えないですけど、
「頑張れば買える!」と、
思えるかどうかという点に関しては、
当時よりも現在の方が、
モチベーションが上がらない人が多いような気がしてしまうのは、
あくまで私個人の印象ではあります。

この記事を書いた人

斉藤 一則

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