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小さなギモン調べてみました!

建築・不動産から言葉のトリビアまで、仕事の中で見聞きした小さなギモンを調べて報告していきます。

2013年10月のアーカイブ

3週間ほど前の話ですが、たびむすびの稲葉社長にお声がけいただき、多賀城ツアーに参加してきました。

お声がけいただいたのは、おそらく以前に、「多賀城って、もっとうまく売りだせば人を集められる場所だと思うのに、なんで何にもしてないように見えるような状態のママ、ほっといてるんですかねぇ。もったいない無いですよねぇ。」みたいな放言を、お酒の席でしてしまい、「そこまで言うなら、ちゃんと見に来い!」という、ありがたいお導きではないかと、私は思っているのですが。

で、当日は現地ガイドの方に案内していただき、ガイドなしでは見聞きできないルートを歩くことができ、いろいろな意味で楽しませて頂きました。

せっかくなので、私も多少は多賀城の話をしようか、と。

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多くの場合、私の興味は、まず、「何故、多賀城って名前なのか?」というところから入るのですが、諸説ある中で有力なのは、もともと「高の城」(たかのき)と呼ばれたからではないか、という説です。

DSCN0305.jpg現地に行くと実感しますが、海側からみて平地になった場所へ、岬のようにつきだした高台に「多賀城」はあります。左の画像は、「国府多賀城駅」からの眺望ですが、画面奥の森のようになっている高台が「多賀城」です。

古来「城」の文字には「き」もしくは「じょう」の読みしかありませんでした。「城」を「しろ」と読むようになったのは、「山背(やましろ)の国」を読みをそのままに「山城の国」と書くようになってからなんですが、この話は以前に書きましたね。

いわゆる「城」「柵」は、どちらも「き」と読み、軍事拠点として、各所に置かれていたわけですが、陸奥の蝦夷対策として、ここに724年に置かれた「城」は、高い場所に設置したので「高の城」(たかのき)と呼ばれたようです。

8世紀初頭(713年)に出された「諸国群郷名著好字令」という勅令があるのですが、これは簡単に言うと、「国とかの名前って、適当な漢字を使ってるのが多いから、縁起の良さそうな2文字にするってことで統一するんで、書きなおしてくれる?」みたいな勅令でして、全国の地名に漢字2文字が多いのも、この勅令のためなんですけど、おそらく「多賀城」もこの影響を受けて、「高」に縁起の良さそうな「多賀」の文字を当てたのではないかと思われます。で、そこにある「城」なので「多賀城」と。

で、この「多賀城」、「日本の名城百選」にも選ばれているんですが、地名に「城」がついて、駅名に「国府」とついていたりしたうえで、「大宰府」「平安京」とあわせて「日本三大史跡」にもなっているので、結局、「城」なのか「国府」なのかよくわからなくなっちゃっているように思います。

 

「国府」とは、当時の行政区画として全国に66箇所(時代によっては68箇所)あった全ての国に、各々の行政庁としておかれた役所で、正式には「国衙(こくが)」もしくは「国庁」というものです。ですので、「私の町は「国府」があった場所で、歴史的に素晴らしい土地です!」と言っていい場所は、その国の数だけ有り、現在の都道府県よりも多いぐらいですから、正直なところスペシャル感は薄いように思います。

実は当時、正式に「府」と呼ばれる施設(役所)は、三つしかありませんでした。
「府」とは、軍事的な意味がある役所にのみ許された呼び名でしたので、それは、中央の都を守護する「六衛府(都を守護するのに外・中・中央の三重の守りを、左右に配置したので、合計6つの衛府ということで、まとめて「六衛府」と呼びます。)と、西の大陸からの脅威を守護する「大宰府、そして東北の蝦夷からの脅威を守護する「鎮守府」です。

「多賀城」は陸奥の国の「国衙(国府)」と「鎮守府」が、「高の城」の施設にまとめて置かれたため、定着している「多賀城」という呼び名のもとに、どうもイメージにスペシャル感が無いんではないでしょうか?

「西(南)の大宰府」「東(北)の鎮守府」と並び称せば、相当インパクトもあったと思うのですが、「多賀城」で「国府」って名乗っちゃったために、モヤっとしてしまったと思うのですが。

それと、そもそも「陸奥の国」は、とにかく(朝廷から見て、ですが)ワケのよくわからない東北の方を指していましたから、朝廷軍が少しづつ北進するごとに、その基点となる「城柵」や「国府」、もちろん「鎮守府」の場所も奥へと移っていきましたので、その意味でも最初からおおよそ固定的に設置された「大宰府」より、ボヤけているというのもあります。

仙台市太白区にある「郡山遺跡」も、多賀城が出来るまでは、陸奥の「国府」と「鎮守府」が置かれた場所でしたし、多賀城より後の時代では、岩手県の「胆沢城」に「鎮守府」は移転しますから。

DSCN0304.jpgとは言え、「鎮守府」として一時代を築いた「多賀城」は、その時代に3つしか無い、国の重要施設が置かれた場所であるということを、名実共に、もっと正確にアピールすれば、それだけで、素晴らしい場所であると認識してもらえると思うのですが、どうも「名城百選」と「国府」押しが、その邪魔をしているように思うのは、私だけでしょうか?

左の画像は「国府多賀城駅」に貼ってある記念スタンプの表示なのですが、せめて漢数字で「百」と書いてほしいものだと心から思います。このあたりも「多賀城」ただの「お城」みたいに見られてしまう一因ではないか、と。(しかも城跡しか無いし。)

ただ、「鎮守府」を押しにくかった時代背景というのも、実は有りまして、それが戦時中に日本海軍が全国に数カ所設置した同じ「鎮守府」という名前の軍事基地・軍港の存在です。

元来「鎮守府」というのは軍事拠点の名前でしたから、間違った使い方ではないのですが、特に戦後の時代背景の中では「鎮守府」という名前を観光的に押し出すのが憚られたとしても、それは納得できるようにも思います。・・・「大宰府」みたいに名称がカブらなければ・・・と、思わずにはいられません。

でも、現在なら、正しい時代背景と歴史認識を持って、「鎮守府・多賀城」も受け入れられるのではないかとも思います。

 

ああ、気がつけば、ツアーの集合場所である「国府多賀城駅」からまだ一歩もでないまま、このボリュームに。

まだ、「五畿七道」における「東山道」との関係の話も書こうと思っていたのに。

と、言うわけで、この話、次回にも続く事にします。

「におい」を漢字変換すると「臭い」と「匂い」が出てきますよね。

で、「臭い」は悪臭の時に使い、「くさい」とも読んだりします。

一方「匂い」は、比較的良い香りの時に使い、「香り(かおり)」とも言い換えられます。

で、今回気になったのは、同じ音で、同じく嗅覚を刺激するものを表現するのに文字が違い、かつ、正反対の印象を植え付けられている「匂い」と「臭い」、それに「香り」に関して調べてみました。

まずは、

この文字はもともとは下の「大」は「犬」で、上の「自」は鼻を正面から見た形で「鼻」の意味があるそうです。

つまり「臭」は犬の鼻のことで、犬が「におい」を嗅ぐことから「におい」を表す文字なんだそうです。

してみると、成立時点では、特に「悪臭」に偏った意味は無いように思います。

で、先に、「香」

「黍」と「甘」を上下に組み合わせた文字で、黍が醗酵して甘い香りを出すことから、その「におい」に「香」の字を当てたそうで、つまりはこっちが最初から「臭」と対になる「良い香り」を表す文字だったようです。

なので、流れとしては、「良い香り」に対して「悪い臭い(におい)」との区別ができて、「臭」は悪い方を受け持つことになったようで。

では「匂」はというと、

元は良い音を表す「韻」の異体字「韵」から来ていて、この右半分が「匂」に変化した国字だそうです。

こっちは最初から「良い」意味があるようではあります。

そもそも「におい」という言葉は、

赤土を表す「丹」という文字から来ていて、「丹」単体で「あか」の意味を持っているので、「赤くする」事を表現するのに「丹(に)」を動詞化して「丹ふ」、これが「丹ほふ」となって、「におう」「におい」となったという話があります。

その昔、赤くすることはつまり綺麗にするような意味があり、つまり「にほふ」=「におい」という言葉は、嗅覚に限ったことではなく、色彩等の見た目や雰囲気も含めて、そこからかもし出される、何がしかの形にならない良い印象を指して使う言葉だったようです。

「丹」という文字自体は、赤土が産する井戸の形から生まれた文字で、これがそこから取れる赤土、ひいてはその色を表す文字になったんだそうです。

してみると、「におい」自体は決してマイナスイメージがない言葉で、「香り」とは語源こそ違うけれど、どちらももともとは良い意味しかなかったものが、「臭」の文字で表現されるものだけが悪い意味に転化していって、今のような使われ方になったようですね。

ちなみに「くさい」という言葉は、

「腐る(くさる)」を語源とする言葉のようで、モノが腐敗して悪臭を放っている様子から生まれたため、最初からマイナスイメージなわけで、「くさい」=「臭い」は至極繋がりやすいと思われます。

漢字自体は当然中国から伝わってきていますので、そもそも中国において「臭」にマイナスイメージの「におい」の意味がくっついて日本に来ていれば、「くさい」を表現するのに「臭い」と書くようになったのも頷けますよね。

「くさい」と「におい」は、正反対のイメージの嗅覚表現だったのが、「におい」の方が嗅覚表現全体を表す言葉となり、漢字表記の時だけ、元々の意味の通り書き分けるように習慣が残った、ということでしょうか。

※※※※

「くさい」と言えば、先日組合の食事会の時に「ニンニク(大蒜)」の話が出て、仕事中には「臭い」が気になるので、「ニンニク」が食べられないという話が出ました。

あの「ニオイ」は、ニンニクに含まれる「アリイン」というタンパク質が、「ニンニク」を切ったりすりおろしたりして空気中の酸素に触れた時に、ニンニクに含まれるもう一つの成分の「アリナーゼ」という酵素が働くことで、「アリイン」が「アリシン」というものに変わり、この「アリシン」が強いニンニク臭を発生しているのです。

なのでもちろん、生で食べれば「くさい」ニンニクですが、実は「アリナーゼ」は熱に弱く、数分間ボイルしたり焼くことで壊れてしまい、「アリイン」と反応することがなくなるので、ニンニクを切っても、食べても、それほどの「におい」はなくなってしまいます。

また、すりおろして長時間放置しておくと、「アリイン」と「アリナーゼ」の反応がすべて終了して発散してしまうことで、「におい」はかなり消えてなくなります。

「アリナーゼ」は沸騰したお湯で5分間ほど茹でるとなくなると言われ、(5分以上やっても意味はありません)かつ、ニンニクの栄養素は生で食べた時と変わりはないそうですよ。

新鮮なおろしニンニクならいざしらず、ある程度の時間、煮たり、焼いたり、炒めたりしたニンニクは、実はそれほど「におい」を発しないものなので、(もちろん、調理方法にもよりますが)必要以上に気にすることは無いと思うのですが、どうでしょう?

一般に中華料理でニンニクのニオイがきつく感じるのは、中華の調理法的には、短時間で強火力の調理が多いため、「アリナーゼ」が壊れきれず、「アリイン」と反応するからだと思われます。

ちなみに「アリシン」はタンパク質や脂質・糖質と非常に結合しやすく、結合するとそれらの物質が「アリシン」を包み込み、「アリナーゼ」との反応を阻害するため、肉類やタンパク質のものと一緒に食べることでも、「ニオイ」は低減するそうです。

それでも気になる方は、お茶等の「カテキン」を含むものを一緒に飲んだり、食後に飲んだりすると、かなり違うそうですよ。牛乳を飲むと良いのも、牛乳の中のタンパク質との結合があるかららしいです。

※※※※

ニンニク.jpgニンニクの「香り」を「臭い」というか「匂い」というかは、その人の感覚だけでなく、その場の状況にもよりそうでは有りますが。

この記事を書いた人

斉藤 一則

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