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マクロの眼

プロジェクトエンジニアを僭称(?)中

2020年12月のアーカイブ

12月10日 21:32 ·

【三陸戦線~新たなる希望~】

本日、公式に大船渡の陸上養殖あわび「三陸翡翠あわび」がリリース。ECサイトも稼働しております。何とか年内間に合った・・・。
ここ1か月、「三陸ムール貝」とか今日の「三陸翡翠あわび」とか、カサマからの「三陸シリーズ」の「いいね!」依頼にご協力いただき、ありがとうございます。
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今回新たに立ち上がった「三陸翡翠あわび」は、これまではいわゆる「単に養殖されたエゾアワビ」というポジションだったんですね。しかしこれを海洋浸透水を使った「陸上養殖」という、日本でも唯一の手法で生産していた「元正榮」こと北日本水産さんが、バリューを整理して新規ブランドとして展開。
しかもこれまでレストランやホテル等へ卸す「BtoB」型企業だったのですが、今回のコロナもきっかけに「リテール部門」を新たに立ち上げ、「BtoCブランド」の展開としてのチャレンジ。
これは経営管理学的視点から言うと、この戦後空前の危機の中での「第二創業」クラスの意思決定であり、かなり果敢な挑戦です。
養殖の牡蠣や海鞘に付着して捨てていた「ムラサキイガイ」を、逆に中層はえ縄で海中備蓄して、新たに「三陸ムール貝」として立ち上げた例もそうですが、震災復興によりこの10年間という長い時の中、「実戦を通してよく訓練された戦士たち」である三陸の生産者。
このコロナ禍のタイミングであえて新しいチャレンジするのは、もはやDNAに刻まれた本能的な行動に違いない。
割とオーソドックスで手堅いマーケティングの手法を裏で動かして、地域産品としての確立を援護射撃する予定ですので、今後の動きに是非ともご注目を。
新たなる歴史の始まりとそのプロセスを、是非ともリアルタイムに目撃してほしいですな。

巷で徐々に話題になっている、「仙台セリ鍋を頼んだら銅製の鍋が出てきた」というアレ。10年後、50年後、いや100年後にも続く「仙台の食文化」の歴史に、新たな一ページを加えることになるかもしれません。

・・・

12月25日 仙台市

【歴史を作る者達】
「将来いかなる製品やプロセスが必要になるかを予測しても意味はない。しかし、製品やプロセスについて、いかなるビジョンを実現するかを決意し、そのようなビジョンの上に、今日とは違う事業を築くことは可能である」
(「創造する経営者」、ピーター・ドラッカー)


machicoにタゼンさんの「仙臺銅壺・せり鍋」の紹介が掲載されるなど。

https://machico.mu/special/detail/1723

(引用)

せんだいタウン情報machico
12月25日 11:05 ·
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仙台の食と伝統文化を伝える 仙台せり鍋の専用銅製鍋 「仙臺銅壺・せり鍋」誕生
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仙台・宮城の特産品「仙台せり」。まさに今が旬の野菜で、根っこまで食べる「せり鍋」は、冬の仙台名物として全国的にも広く知られるようになりました。
そんなせり鍋を通して仙台の魅力を発信しようと、創業425年を迎える「株式会社タゼン」が日本初のせり鍋専用鍋を開発しました。青菜と相性が良い「銅」で作られた鍋には、400年以上前から続く仙台の銅細工の歴史と技が隠されています。(後略)

(引用終わり)


本商品は単なる「プロダクト開発」ではなくて、「ビジネスモデル」を構築するという観点で開発された、まさに「商材」。
しかもそれは、仙台エリアに「セリ鍋文化を補完し、より強固にして定着させる」という、相当に「ビジョナリー」な取り組みでもありました。

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仙台でセリ鍋を注文すると、やがて仙台人にとっては当然のごとく、それが銅の鍋で提供され、それを目の前に食される風景が定着することが、理想であり目標。

この非常に精密に仕組まれた歴史のスタートは、行政でも広告代理店でも、それどころか製造している会社ですらなく、まさに「歴史をつくるのは一人ひとりの働く人間だ」というピーター・ドラッカーの有名な格言を体現したかのようだな、などと、そのプロセスの一部始終を目撃した観察者型MBAホルダーのカサマは思うのでした。

笠間 建さんは雄勝湾にいます。

12月1日 · 石巻市

【三陸ムール貝デビュー戦】
只今石巻市雄勝湾の(株)海遊さんが中心になり、三陸地域の牡蠣・海鞘(ほや)に続く第三の柱として、大正時代ごろにヨーロッパからもたらされたムラサキイガイを改めて「三陸ムール貝」としてブランド化して新しい地域産品を生み出し、世界に打って出るプロジェクトが進行中。

三陸ムール貝公式サイト

https://www.sanrikumussel.jp/


このプロジェクトは、通常の「地域産品」の成長プロセスを、いわゆるオーソドックスで手堅いブランディングやマーケティングの手法で「計画化」「加速化」するという、ちょっと変わったアプローチでして。
まずは地元の人々が、宮城が極東最大級のムール貝産地だと認識して「地産地消」しつつ、海外産の冷凍ムール貝しか食べられない首都圏に「活ムール貝」殴り込みをかける。

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それを来年2月のスーパーマーケットトレードショー2021に単独ブース出展したり、SNS先行でWeb広告を展開してユーザー層のテストをしたり、映像制作や英語・繁体字のサイトを準備して将来の海外進出のための「地産【他】消」の伏線を敷いたり・・・と「手順」を決めていて、割と今年度カサマが一番手間をかけているやつ。

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興味深いのは、展示会出展関係の一部少額の助成金以外は、基本的にはこれは全て民間資本でやっているところ。
これを仙台印刷工業団地協同組合の各社の能力開発活動、つまり一種の研修の一環として数社が役割分担して、進行している。
行政のお金が入っていないので、余計な報告書もいらないし、広告宣伝等に変な制約もない。


一方で、私は行政側で様々なスキームを「評議」、時には「設計」をする立場でもあるわけで、この民間主導のプロジェクトをさらに定着・加速する段階では、速やかに行政の支援を仰ぎ、官民総力併せることも辞さない。
産学官を渡り歩く「灰色の存在」であるカサマにとって、おそらく仙台に戻って10年の総仕上げのようなプロジェクトとなるでしょう。

今次コロナ禍で壊滅的なダメージを受ける中心市街地の飲食店ですが、郊外の飲食店、いわゆる「街の食堂」は意外に健闘していて、むしろコロナ禍で売り上げが向上しているところも。もちろん、今後「会社がつぶれた」「解雇になった」などの深刻な状態が増えればどうなるかはわかりませんが、広範囲なところから顧客を集めるた三次商圏に頼ったビジネスモデルが苦戦する中、この1年は元々地元に定着していて強固な「常連」に支えられていた「一次商圏で完結している郊外飲食店」が相対的にダメージが小さく、しかも新たな顧客を開拓した模様。

ただ郊外の飲食店継続の本命は実は事業承継であることが多く。

その中で、元は飲食店だった場所を再度最低限の設備投資と、自分が食べていける程度の収益性、かつワンオペ前提で規模感を押さえたビジネスモデルで、たまたま4年前にパークタウンで学生が飲食店を再開業し、卒業後も継続して常連がついている様子を見て、今考えると必然であったのかなと思うことろであり。

・・・

笠間 建さんは陽季亭にいます。
11月29日 · 仙台市 ·

【半世紀のニュータウンで4周年】
仕事帰りにパークタウンの陽季亭にて夕飯食べるなど。
納豆チャーハンは神。

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奥の和室からは、4家族ほどのカサマより少し若い世代のファミリーが子供引き連れ、にぎやかな様子。
店主に奥さん「みうちゃん、ごちそうさまー」と言うような親しい雰囲気で、子供の幼稚園保育所が同じ仲良しパパママ友人家族の、お得意様の模様。
子供いっぱいでナウンターも屋外も大騒ぎ。
何度か「騒がしくてスミマセン」と謝られましたが、お盆正月はその数倍の人数の子どもたちの集団に入ることもあり、我ながら全く意に介さない感じ。

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間もなく開拓より半世紀経つパークタウン最古の住宅地も、子育て世代の主役は今や私よりも下の世代となった。その黎明期・全盛期を知るものとしては、なかなか感慨深い。

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私は遂にバトンを渡しそこねたかも知れないが、20代30代のパパママ世代を見ると、「早く若い世代の人類にこの星を委ねばならぬ...」などと謎の地球外生命体目線で、郊外の満点の夜空の下を走りながら思うなど、いとおかし。

コロナ禍で2020年は芋煮会もままならない状況だった仙台ですが、そんな中でも2年前の「独り芋煮会」に続き、「夜の芋煮会」に今度はチャレンジ!

地下鉄駅からすぐの河原でこのようなバーベキュー環境があるのは、文明と自然が高度に融合した仙台ならではの風景で、昼間は何組かが芋煮会を実施するも、流石に夜は一帯全てを独り占め(4人占め)といった風情。気温がとにかく寒いので、9月末から10月初め限定になりそうですが、昼間土日も仕事あって芋煮会ができない人には、結構ありがたいシステムかもしれない。

だいぶいい感じで結構ハマったので、来年以降も続けて、仙台の定番にしたいですな。地下鉄からじろじろ見られていたので宣伝効果もあり、割と普及するやもしれぬ。

・・・

笠間 建さんは七北田川にいます。

10月19日 · 仙台市 ·

【夜の芋煮会】
日曜夜から七北田川河畔で芋煮会を挙行するなど。
流石にこの時期この曜日この時間からやっている者、我々の他なし
芋煮は後輩に任せ、カサマは燈火を始めとした道具と、ホットワイン&日本酒熱燗を担当。
少し寒いですが、都市の中にこんな空間を一人占め(いや、四人占めか)できるのは贅沢この上なし。

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まさにリア充
仙台最狂リア充監察官としての面目躍如と言えよう。
評価: リア充度 8
(ちなみに使ったレンズは例のライカ15mm一本のみ)

人生で5回目の職質にあったですよ。

・・・

笠間 建さんはさかづきBrewingにいます。
10月11日 · 東京都足立区 ·

【都市の中のマイクロブルワリー】
北千住の話題のマイクロブルワリー「さかづきBrewing」に潜入するなど。
このカサマ、クラフトビールはのべ100種程を飲んだと思われるが、この「十三夜の月」は、暫定3位以内に入るやもしれぬ。

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クラフトビール空白地帯の東京都内で、まさかの超一級ビール発見。
「マイクロ」と言いつつ、醸造期間の違うビールを同時生産して複数作り分けるためか、その設備はコンパクトな建物中に400L級のサーマル発酵タンクと思われるタンクが効率的に複数ところ狭しと並んだかなり本格的なもの。

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さらに壁を伝ってすぐにビールが出せる設備もあり、その楽しげな仕掛けも含め、素人目にもかなり洗練されたブルーハウスに見えます。

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それもそのはず、女性オーナーは東北大学・大学院で科学的に醸造を学んだあとにアサヒビールに入り、2016年に独立した才女。二高後輩の Takao Hosokawa 君の学部と院の後輩で、仙台に縁のある方。

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素晴らしいのは、ここは「料理が美味しい」こと。
しかも「リーズナブル」。
これは、あまり美味しいとは言えない「ツマミ」を出して「ビール押し」するマイクロブルワリーが多い中、一流の料理人を採用して最初から「飲食店として成立する」ビジネスモデルになっているということ。
しかも、料理4品頼んで「全部の」クラフトビール(アサヒスーパードライも含む(笑))を頼んだのに、一人5000円ほどの単価。

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もともと地代が高い都区内では、製造設備と厨房と客席が一体となって広い面積を取るマイクロブルワリーは不可能とも思われました。
が、おそらく「北千住」という少し都内でもマニアックな立地が選定されたのは、
・地代が他と比べて相対的に安く
・比較的広い物件があり
・一次商圏に「地元ビール」と言ってリピーターが存在し得る適度な市場規模があり
・しかも都心から離れ過ぎず複数の路線が乗り入れる交通至便
な場所ということでの、最適解なのでしょう。

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30代の若い女性オーナーですが、醸造家としての腕はもちろん、起業家としてかなりの実力の持ち主だなと、感動した次第。
これは震災後に東北でどんどん生まれた「ワイナリー」とか「ブルワリー」とかのビジネスモデルに関わる方は、ぜひ見に行ったほうが良いかと。

・・・・

そしてその15時間後・・・

・・・・

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展示会帰りのカバンの中に怪しい商品一杯で、6人の警官に囲まれる。

警視庁は私にうらみでもあるのか。

最近、とにかく時間が経つのが早く感じ、「きっと忙しいからだ」と自分に言い聞かせていた訳ですが、それは順調に加齢によるものだと40歳を超えて薄々気づき始め。

なるほど確かに10歳ぐらいの少年時代の1年間は人生の10%に相当するが、20歳の青年時代にとって1年は5%、30歳の若手にとっては3.3%。だが40歳の中年になると1年は人生のうちの2.5%にしか過ぎないという恐ろしい事実。大学生ぐらいよりも1年の感覚時間は半分となり倍の速度に感じ、まあ同じぐらいだろ?と思っている30歳連中とも25%も違う=一回り下のやつらより時間を30%早く感じている・・・!

まったく年を取ると身体能力と脳みそ能力も衰えて何をするにもスピードが遅くなるのに、時間だけは早く過ぎるという、恐ろしい時空のゆがみ

それを整備新幹線でまざまざと痛感したですよ。

・・・

笠間 建さんは仙台市にいます。
10月7日 ·

【整備新幹線】
これは驚いた。

<引用>

盛岡-新青森、最高時速320キロへ JR東が防音工事に着手

JR東日本は6日、東北新幹線盛岡-新青森間について、最高時速を現行の260キロから320キロへ引き上げるため、今月から防音工事を実施すると発表した。工期は約7年間を予定する。

(中略)

国が推進する「整備新幹線」の同区間は、全国新幹線鉄道整備法の整備計画に基づき、整備時の最高時速は260キロと定められている。国土交通省は騒音対策などと併せ、整備後に260キロを超えた速度への見直しが可能としている。整備新幹線の区間で最高時速の引き上げは初めてとなる。(河北新報2020年10月07日水曜日記事)

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202010/20201007_73012.html?fbclid=IwAR0T5wygAA6BMEUbXkmpZ4SuyHAmYvoOb0TMo02n66zou73uXe6CH-pH7F0

<引用ここまで>


盛岡以北が260km/hなのは、いわゆる整備新幹線区間の制限というのは割と知られていると思うのですが、320km/h運転または(北海道へ延伸される際の)360km/h対応は、札幌まで開通する2030年ぐらいまでないだろうと言われていたんですね。
防音工事についてフォーカスされていますが、実際にボトルネックになるのは架線の高張力化ではないかという意見もありまして。10年ぐらい前に新青森まで開通した際に、某2ちゃん0る鉄道板で、だいぶ「将来の360km/h化」が検証されていてたものです。

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運動エネルギーは速度の2乗に比例する(K=1/2mv^2)から、単純計算で260km/hから360km/hに速度を約1.4倍にすると、運動エネルギー増加はほぼ2倍になるので、意外に設備投資が高くなるようにも思えます。
現在の盛岡以北の架線(トロリ線)の想定はMAX300km/h対応程度に抑えられて、その分建設費を抑えたのでJRに安くリースしている(盛岡以北の所有者はJR東日本ではなくて日本鉄道建設公団)らしい。
仮に架線を含む軌道改良となると、リース料がアップされるだろうから、このコロナ禍とてつもない損失を被ったJR東日本が負担増を覚悟で主導して、早めの改良に着手とは少し驚きです。
遠い未来だと思っていたのに・・・

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と思ったら、10年前の2ちゃ0ねるで「どうせ20年先」とか言っていたら、既にそれから10年経っているので、「工期は約7年間」で2028年実現だから、ほぼ「予定通り」ということか・・・。
う、おかしいな、最近次元が歪んでいるのか?
時間がたつのが早すぎる・・・

<補足>

新幹線が速すぎて、ウラシマ効果発生も不可避。きっと毎月何度も新幹線に乗っているから、こんなことになったに違いない。全部東北新幹線のせいだ。

常磐線、9年の歳月をかけ2020年3月14日に再び全通ッ!かつては上野駅から出発していわきで増解結し、下り側4両だけが仙台に到達するという運行形態でした。震災により、てっきり「仙台行ひたち」は廃止になるかと思ったら、まさかの再開。どころかなんと新型車両E657が(無駄に)10両の長大編成で運用ッ!このコロナ禍もあり、順調に大量の空気を輸送しています。

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奇しくもいわきでの仕事が2019年から多くなり、概ね2か月に1回は活用するヘビーユーザーとなり、「とくだ値50」の活用もあり、わずか2時間で仙台ーいわき間を行き来できるということで、大いに助かっております。

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ところがこの素晴らしく現代的な車窓から眺める景色、例のところを通るときは非現実的な景色を目撃することになり、あたかも別世界の時空間を通過する銀河鉄道999のごとし。「O-テル、いったいこの星はどうなってしまうんだい・・・?」

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何かこう、通るたびに自分の人生を省察する鬱展開を繰り返すことになるのでした。こりゃ全く世紀末だ。まだ21世紀になってから20年経っていないけど。永遠に繰り返す世紀末、シュタインズ・ゲートかな?

笠間 建さんは双葉町にいます。
10月6日

【リアル国破れて山河あり】
城秋草木深。

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最初に杜甫の「春望」の詩を知ったのは、幼稚園児のときに放送していた名作アニメ「まんが偉人物語」だと記憶。厨二病患者(園児だけど)だった当時のカサマ少年の心に「うわ、杜甫みたいな国士様かっけー(藁)」と強く印象に残ったのです。

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高校時代の漢文の授業で再び習ったときは、歴史的には当時既に「バブル崩壊後の世界」ですが、当時を生きる者たちはその認識はなく、どんどん新しいものができる「国力絶頂期」だったので、なおも「想像上の世界」の詩だった訳です。
確かこの詩は杜甫が40代半ばの頃に詠んでいたはずですが、自分がその年代になり、「リアル国破山河在」を目の当たりにすると、何だか現実感がなく、それでもなお「想像上の世界」であり、むしろ自分がその世界に紛れ込んだ夢のようにも感じられる。

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きっと40代中年男性になってしまったこの世界はで、常磐線特急ひたちで一眠りして目が覚めたら元の小学2年生の夏休みに戻り、これから会津の爺さん婆さんの家に行き、スイカを食べたあとサユリ公園のプールに入って、その後テレビで従姉妹たちと『あなたの知らない世界』を視たあと盆踊りに行って、夕飯にこづゆを食べてから寝るんだ。

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21世紀になって間もなく20年が過ぎようという昨今。

「なに『ぴえん』とか最近のヤングは言っているんだ。バカ受け(藁)ナウいのは『ぎゃふん』だろ」などと正常な時代遅れ認識を持つカサマですが、「20年前なんてまだ大学生だったころだし、ちょっと前ジャン!」と思って当時出たばかりのデジカメの写真データを見ると、案外風景が変わっていたりします。

一番大きいのは、当時の建物の写真などと比べると、21世紀に建てられたものはやたら柱が細く壁が薄く、そして安普請なところ。おそらく計算機の発達で、構造計算などがより精密にできるようになったからかと思いますが、一方で素人目にはいちいち余裕もなくなり冗長性が失われ、何だか貧乏くさくなっているようにも見えるわけです。

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まあ、でもそこは世の中、頭の良い人がしっかりやっているに違いないと思っておりましたが、案外そんなことはなく、順調にこの国は衰退し、劣化しているのではないか?などと遅まきながら気づき始めた43歳

笠間 建さんは八木山動物公園駅にいます。
10月1日 · 仙台市 ·

【ヘアクラック】
最近一部で話題になっていた、八木山動物公園駅の立体駐車場に大量発生したクラック(ヒビ)を、夜中2330に(なぜ...)観察に行くなど。

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こりゃあ、確かにすごい。


全ての階がこんな感じで、尽くエポキシ樹脂充填補修した手間を考えると気が遠くなりますが、利用者が「開業3年でこれとは、手抜き工事の駐車場ではないか?」とおっかながって、利用を忌諱する気持ちも分からなくもない...

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素人なのでテキトーな推測ですが、「土間じゃないから伸縮目地無くていいだろ。建設予算少ない(藁)」的なコスト削減しようとした(実際、目地が見当たらない...)か、震災で工期遅れて、真夏の暑いときに打設して硬化速度が早すぎ、乾燥収縮のムラができたか(初年度からクラックがあったとの指摘もあったようだ)。
構造クラックと違い、駐車場のヘアクラックは大きな問題ではなく割とある現象と言われても、素人目には
「おいおい、流石にトンネルの覆工コンクリの打設とかは、大丈夫だよな?」
と思ってしまいますなぁ...

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国力全盛期に建造された南北線が施工や運行システム的に非常に優秀な子だっただけに、国力衰退期に建造された東西線は、どんなもんなんでしょうかねぇ...

<補足>

大型モールとかの民間の立体駐車場ではあんまり見たことがないので、やっぱり公共事業特有の何かがあったりしたのだろうかと、色々考えたり。

こういう空間を見て、その無人の中を一人で歩くと、文明崩壊後のディストピアを歩んでいるようで、個人的には萌え。ディストピアを体験したい好事家、GOTO 八木山ッ

今次コロナ禍が発生する前は、基本的には人々の往来は世界的に増えて行き、ネットで売買ができるようになったからこそ、その商品を配送したり輸送したりする「運輸」と、それら商品を選定するにあたり目利きたる(料理人なども含む)バイヤーとメーカーが、その目とその手や舌などで実際のモノを確認するためとしての場である「見本市(いわゆる「展示会」)」の、この二つの物理制約シゴトはむしろ重要性を増して拡大していくと思っていたんですね。

案の定、ネット通販は今次コロナ禍以後は大盛況で物流は増大しましたが、「見本市」の方はどうしても人間の移動が制限されている限り開催は難しく、当面はバイヤーがメーカーに個別商談する「マッチング」が主流にならざるを得なくなり、一か所で一網打尽にする効率性は下がり、「偶然による新たな出会い」は抑制され、商材のイノベーションは停滞しそうな雰囲気です。

一方で、先進国の中では相対的に感染拡大が何故か抑制されている日本で、9月に半年ぶりとなるコロナ禍では初の大規模展示会が開幕。探ってきたですよ。

・・・

笠間 建さんは東京ビッグサイトにいます。
9月4日 · 東京都江東区 ·

【威力偵察】
コロナ騒動後の国内初となるビッグサイトの「大型展示会」に潜入するなど。

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販促EXPOや国際文具展など国内でも権威のある展示会で、平時であればビッグサイトの東棟と西棟全部を使った国内有数の壮大なEXPOが、南棟と西棟のワンフロアだけで「夢メッセみやぎ」に収まる程度に縮小。

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出展社集まらず無駄に大きく取られた商談スペースや「VIP」エリア、10%近い出展ドタキャン小間、閉鎖されたコンビニ、少ない来場者...

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「東京ですらこれか」と、来た者は暗澹たる気持ちで絶望したやも知れぬ。


だが、全入場者への体温チェックと消毒と、「やり過ぎだろ」と思うようなトイレとテーブル清掃、時に現れるランダムエンカウントの「手の消毒遊撃隊」、冷房代無視のシャッターオープン等々。
恐ろしいコストとリスクをとって、世界に先駆けて東京で「大型展示会」が開かれたことは偉大な一歩であり、関係者の努力を讃えたい。

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そんな中で、早くも「ポストコロナの新しい生活スタイル」を提案した新ブランドがチラホラ。
どれも急造感がある未成熟だが、聞くと「まずは立ち上げてみて、コンセプトや提案は色々やってみる」という姿勢、いわゆる「物理商品のリーンスタートアップ・モデル」。
これは偉大なチャレンジだ。

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もうこの国の商業は終わったと思っていましたが、こういうアグレッシブな「商売人」がまだ健在とあらば、これなら10年ぐらいかけて、必ず商業復興がなされるに違いない、そう確信して、カサマはクールにピグザムを去るぜ...!

仙台の平成におけるビールシーンを担ってきたキリンビアフェスタが、令和2年、2020年12月をもって28年の歴史に幕を閉じます。

新幹線での帰還の途、駅で酒とつまみを買い損ねて「居酒屋やまびこ」ができなかった腹いせに久々に地下に潜ったところ、てっきり「廃業」ニュースの為にいよいよラスト1か月の駆け込み需要で賑わっているかと思えば、お一人様のカサマ以外には5組程度しか入店しておらず、この状態で有る。

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そこで独り飲みする私もナカナカのような気もするが、まさか21世紀になって「こんな結末」になるとは、20年前は思わなんだ。
2020年12月2日 笠間 建さんはキリンビアフェスタにいます。

【キリンビアフェス】
居酒屋やまびこを阻止されたため、地下に潜るなど。

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思い出した。
大学時代の前後、バイトで東口に通っていたのですが、その時に女性の上司に誘われてはじめて飲みに来た場所や。
その時はオトナ女子に誘われて、オサレなビアフェスタでサシ飲みとは、随分ドキドキしたものよ。一人テンション上がりつつも、このカサマ、下戸ゆえに何の話をしたのか何を飲んだか、さっぱり覚えておらぬ。
もう20年ほど前だろうか。

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28年間、名掛丁で様々なドラマを生んだビアフェスタ、間もなく廃業。
誰かカサマとビアフェスタ談義でもりあがろうず

<補足>

おそらく2001年のことかと思いますが、笠間が大学学部時代、とある授業のレポートで地ビールの調査研究をしたですよ。当時は90年代半ばの「地ビールブーム」がまだ引きずられていた時期であり、衰退地域の活性化の一つの手法としてまだまだチャレンジが多かったものの、キリンの「麒麟淡麗<生>」や「アサヒ本生」などの発泡酒に押されて難しいビジネスになりつつある・・・と、報道資料やインターネッツ巨大掲示板などの文研調査レベルでは分かっていた時期でした。

これがのちに「第一次地ビールブーム」と呼ばれるようになるのは後の時代ですが、これだけでも一応レポートは書けそうだったものの、当時フィールドワークに憧れていたカサマは、研究の一環と称して宮城県内や岩手のブルワリーを訪ねたりして、地ビールを飲みに回っていた訳です。その時、新興の「やくらいビール」など出色の美味しいビールがあった一方、大半の地ビールがとにかくマズく、「ありゃ?これは発泡酒との競争とか、そういう話ではないのではないか?」と思ったわけです。だってマズいんだもん。ビールなんてそれほど飲み慣れていないはずの大学生ですらそう感じたわけで、これは今考えるとよほどのことです。

そんなタイミングでオトナ女子に連れて行ってもらったキリンビアフェスタ

年上、というか女子とサシ飲みなんて初めての経験で、こんなリア充、心はドキドキ、恋の呪文はスキトキメトキス逆さに読んでもスキトキメトキスの平成JUMP!(元ネタは昭和だが)かと思いきゃ

「うはっ!なんだこの美味しいビールは!やっぱ中小企業の田舎者が作るビールなんかより、大手の洗練された最高品質のビールが旨いに決まってるジャン!ナウなヤングにバカ受け!(昭和)

とあまりの美味しさに大興奮で、全然お相手のことを考える余裕もなくなって、とにかくビールを飲みまくって、美味しいキリンビールの味以外は記憶が消去されたという失態をした模様。

まったく申し訳なかった。

あれから10数年。今やクライアント様の中にはクラフトブリュワリーもあり、当時の問題点や、OEMでかろうじて命脈が保たれた「地ビール」を聞きしも、今や「クラフトビール」と呼ばれて「何だか美味しそうなビール郡」という全く逆のイメージで第二の人生を歩み始めた歴史をようやく目撃したタイミング。そこでのキリンビアフェスタの廃業。

コロナ禍、大きすぎる「ハコ」、ピルスナー一辺倒だった上の世代から、多様なビールを飲むようになった新世代への移行などなど、様々な要因もありましょう。しかしこれほど美味しいビールを出せる店舗は、もはや工場併設のビール園ぐらいしかなく、この仙台駅前の一等地で維持できないという事実に、一抹の寂しさと、仙台の飲食シーンの都市力低下を改めて感じるのでした。

バーのカウンターで独りで飲む。

こりゃてっきり、アニメとか映画とかの世界だけのフィクションだと思っていた訳です。

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実際、ロスジェネ就職氷河期世代が世間のワーク―ホースとなった今、自分の同世代がほとんどバーには行かない。収入が減った世代だからか?というマクロ分析妥当かと思いますが、経営者仲間ですら「無駄な支出」として会社経費で領収書を切る気もない人々多く。

そんな世情と世代のくせにバーに行くカサマの目的は、極めてシンプルなのでした。

2020年9月22日 笠間 建さんはBar Roadにいます。

【残弾ナシ】
連休初日に東京の大切なお客様をご案内し、今や貴重になった「竹鶴17年」のラスト2ショットを消費するなど。

此レニテ残弾ナシ。

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この竹鶴は、知恵と力と勇気を私に与えてくれる命の水
仕事で嫌な相手に会っても
「おおっと、このオレにそんな口を聞いていいのかい?オレには国分町に『竹鶴17年』があるんだぜぃ?」
謎の自信が湧いてきて、


仲間のミスがあっても
「オーホッホッホッ!良くってよ、良くってよ!私には国分町に『竹鶴17年』があるのですから!」
と他人に優しくなれ、


緊急に人を招く必要があっても
こんな事もあろうかと、国分町に『竹鶴17年』を用意していて良かった...」
と心に余裕ができる。

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国分町のバーにボトルを入れているというのは、そういう事なのだ。

<補足>

俗に「国分町ルール」というものが存在せり。これはビルのオーナーとなった酒販店が、やや安い家賃(昔は)で居ぬきの物件を提供し、酒の調達もそのまま請け負うというモデル。このモデルにより、日本人の酒の趣向が「とりあえずビール」に代表される一律で、しかもネットでの調達もなかった時代には、多くの飲食店起業家を生み出し、育てていったモデルとなり、仙台の飲食の中心を文化横丁界隈から奪い取ったわけです。

ところが現代に至っては、その特異な酒販ルートあだとなり、趣向が多様化した現代の酒飲み達に対応できなくなっている。何なら、美味しい酒はネットでいくらでも個人が調達できるようになり、コロナ禍もあってお家消費が加速する。

そんな中、結局酒を飲みに酒場へ行く理由は、「自宅ではなかなか飲めない酒を、自宅では実現しない空間で飲む」ことに尽きるわけです。ちょっと前まで、ドラえもんみたいな名前の元起業家の方が言っていたように、「人に会うことが目的のスナックは、いかなる小集落でも成立している」というわけで、「人」こそが最大の資源と思っておりましたが、ことに都市における酒文化を継承しようとすると、結局は「酒」の調達力の勝負と「空間」の維持と言う、原点に還ったような話も重要だよなぁ、などと一人思いながら、最後の竹鶴を堪能するのでした。