メンバーズブログ

マクロの眼

プロジェクトエンジニアを僭称(?)中

2017年12月のアーカイブ

今回、宮崎市『 夢。創造』 協議会様の依頼で「共感を呼ぶ地域マーケティング実践講座」のうちの一コマを担当させて頂いたですよ。宮崎は昨年、視察で訪れたものの台風直撃のせいで滞在時間はわずか9時間、かろうじて綾手づくりほんものセンターの店長(当時)の梶山さんとお会いできた・・・という有様。仙台から宮崎へは直通の空路がなく、また九州新幹線沿いでもないため福岡からの交通も仙台から見ると容易ではなく、せっかく行くのにその機会を極限まで使わないのはもったいない!

よって今回は前年のリベンジも含め、2泊三日で宮崎を観光することにしたですよ。

場所: こゆ財団

【地域商社のナゾ】
本日午後一は、設立半年にして「地域商社」の日本のトップランナーに躍り出た、「こゆ財団」のナゾ(?)を探るべく、理事の岡本啓二 さんにご案内いただき、ライチの生産農家さんや日本茶専門店「新緑園」さんに。

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「市中の国産1%の中の70%を占めるニッチのチャンピオン」で積極攻勢でフラッグシップ商品から開発して攻めとり、ふるさと納税がやや軽視されていた地域で2000万円から4億に売り上げ伸ばし、その収益を活動資金のベースにする」とか、本当に立ち上げ半年かと。。。

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地域商社の動きは、東北の被災地域が一瞬フロントランナーか?と思っていましたが、いやはや、宮崎早すぎる。
カサマが知っている範囲では、あっという間に逆転ですな。。。
おそるべし、宮崎。

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近々卸売市場法が抜本的に改正され、「商物一致の原則」が崩れるわけです。
その意味は、供給量に対して「セリ」で需用量を最適化する旧来のシステムから、需要側のニーズによって供給される「マーケティング」が支配する市場にパラダイムシフトすることを意味する。
このままだと、買い付け能力が高い大手小売りが強かなりすぎるから、零細小売や飲食店が地産地消を維持するためにも、生産者と消費者の間をマーケティングで繋ぐ地域商社の存在は不可欠。

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流通の街・仙台のこれから目指すべき姿の一端を、極東仙台から西の端の宮崎に行って、見いだすことができたぜ。。

やはり「風は西から吹く」、のか・・・。

(補足)

その翌日、今度は宮崎市近郊の綾町へ。昨年以来約1年ぶりに訪れて驚愕。

場所: Aya, Miyazaki

【地域商社のナゾ 続編】
最初に Tsuyoshi Kajiyama さんに会いに宮崎県綾町にまでやって来たのが、約1年2ヶ月ほど前の2016年9月。
その時は綾手作りほんものセンターの敏腕店長さんでした。
その時の経緯については、こちらの記事参照。
http://www.areamark.jp/blog/kasama/2016/10/facebook-18.html

そこから急転直下で独立・創業で地域商社「梶山商店」を立ち上げ、おしゃれな一種のアンテナショップまでオープンされておる。

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たった一年。
このわずかな期間に、昨日の「こゆ財団」さんや、それとはタイプの違う個人業主主体の地域商社が宮崎で誕生している。
この多様性と速さ
大都市が近隣になく、また関西圏や首都圏と物理的な距離があるからこそ、こうした戦略組織が発生する土壌となっているのかも知れぬ。

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一方で我がとーほぐの商社モデルの進化の停滞感や後手に回り始めた感は、実は各県が東京に直結している、物理的な「近さ」にあると思料す。新幹線で90分とか2時間とかだと、商社を自分たちで作って、商いの「橋頭堡」にしようという発想になりにくいのかもしれない・・・。

毎年恒例の西日本への視察旅行。今年は久々の四国上陸へ。その驚くべき景色と仕組みについて、Facebookにて報告しているのでした。

場所: 東祖谷
10月21日

【中山間地限界集落の闘い-その1-】
最近、「限界集落の古民家インバウンド観光」で話題の徳島県祖谷(いや)渓落合集落を訪れるなど。
ご案内いただきました、三好市観光課の中西様、ありがとうございます!

このカサマ、日本全国様々なところを廻りましたが、まさに「息を呑む」風景に出会ったのは、本当に久しぶり。

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「日本のマチュピチュ」と例えられますが、アレックス・カー氏は中国三峡の山水画の世界を探した末に、ここにたどり着いたとか。
15年ほど前、三峡ダムが完成前に行きましたが、その両岸の高低差がダム貯水前で約250m。
この落合集落は、最高地の住居と下層の集落のその標高差、実に300m
単純な沢と山頂の標高差は400mを超えます。

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今や中国三峡は、三峡ダムの完成により水位が100m以上上がっており、当時の風景は見られません。しかし、その往時の迫力を超える場所が、まさか日本にあるとは。。。
ネットなどで得られる写真では、この迫力は全く伝わっておらぬ。
マチュピチュや三峡というより、建物が急斜面にへばりついている様子は、むしろアニメ「天空の城ラピュタ」に出てきた鉱山の街「スラッグ渓谷」にイメージは近い。
どおりて日本の秘境の限界集落に外国人観光客が訪れるわけだ。。。

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「限界集落の古民家インバウンド観光」は、こうした世界クラスの風景資源があるからこその部分も大きい。
しかし一方で、東北の多くの「村残し」ミッションに非常に参考になる知見もまた、得られました。
それは「その2」で続きを。

(補足)

結局「その2」は下書き原稿を作ったもののFacebookに載せるタイミングを逸してしまったのですが、今回はその書きかけを多様手を入れて転載。


【中山間地限界集落の闘い-その2-】
「限界集落の古民家インバウンド観光」であるとこらの徳島県祖谷(いや)の落合集落。
いくつか参考になった知見を。

(1)圧倒的な風景資源
「その1」で述べた通り。四国にこのような圧倒的な迫力の風景があるとは。写真や映像ではなかなか伝わらない、巨大なものに素直に感じ入る人間の本能に訴えるというか。宮城でいうなら、蔵王のお釜というか。前提として他の地域に比して差別性のある資源があるのは強い。

なお、近年では地域住民や自治体担当者のモチベーションが上がり、屋根の色などの統一や、ガイドレールの塗装など、風景をさらに磨いて、地域の価値を上げる努力が継続中とのこと。

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(2)最初から外国人目線
外は往時の雰囲気を「適切に演出して再現(再生ではない)」し、中は清潔で便利な現代技術の積極導入、という方針があったそうで、アレックス・カー氏の「演出」は徹底しております。ようは、外国人が思い描く「想像上の美しい日本」の具現化。20年以上前に、大きな道路を通す構想が持ち上がった際、「ウチの前は絶対通すな」と行政に伝えていたらしい。

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往々にして、日本人が思い描く「日本的なもの」と、外国人が期待する「日本的なもの」にはズレがあるもの。特にインバウンド観光の現場では、結構「日本的なものの押しつけ」もよく見るので、一種の顧客指向の演出は意外に希少だったりするのでした。

(3)古民家無償貸与のスキーム

古民家は住民から市に「無償貸与」されたもののよう。代わりに、年10日間の使用権を住民が持つそうです(お盆、正月等)。
市として(祖谷として)空き家となった家の中でも「残すべき」ものを選別し、リノベを通して地域の価値が上がる。元住人・親族等は、無人となった空き家を持ち出しなしてリノベされ、素晴らしい建物に生まれ変わって維持され、資産価値が上がる
放っておけば消滅する限界集落だからできるスキーム。

(4)「手のかからない」方法の追求
全部で8棟の古民家は、個別に管理人がいるわけではなく、電気的な鍵を持たされて自分で向かって、鍵を開けて入ります。

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食事の提供はなく、自分たちで食料を持って行く必要があります。そのかわりキッチンはHIクッキングヒーターが導入された、最新鋭のもの。

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「元々人がいない」という環境を逆手に、今後の旅行・宿泊業の「省力化」の潮流を、ある意味で最初から極限まで追求していることに・・・。

(5)組織開発
NPO法人ちいおりトラストと株式会社ちいおりアライアンスの2つの組織体を駆使。
これもまた、放っておくと消滅する限界集落だからできる手法。

すでに消滅が確定的な、「ゆい」のようなかつての地域のコミュニティ・インフラの代わりに、NPOや株式会社などの現代的な仕組みインストールするのは、多くの限界集落での課題ですが、その一つの手法であるなと。イロイロ課題が言われている「地域おこし協力隊」の受け皿(移住含む)にもなっており、今後の展開は一種の地域商社になって行くのではなかろうかと思ったのでした。

(6)当時の50代の活躍
10年以上前、当時の50代の地域住民が(他地域でもよく見受けられる)地域特産品作りなどから、徐々に意識変革やノウハウ構築につながったそうで。その方々が、ある意味で自分がそのまま高齢者になったときに住めるように地域を「改造」した形。「自分事」としてリアルに考える人々が、自分たちにない要素を積極的に外部に求め、できることを役割分担する。
こうした「僻地の村残し」活動のターゲットは、高齢者や「若者」などではなく、実はそのままその地に残るであろう「50代」か?

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逆に、60代ぐらいの方々が今から頑張り始めている地域は、すでに手遅れの可能性も。。。

(補足)

地域残し」は、地域の実情(とりわけ人材的なところ)が全く違うため、人によっては「法則性なんかないから、事例研究など不要」「オリジナリティが重要なんだよ!」という方に会ったことがあるですよ。でも、実際にはこの「地域残し」は、ある意味で近代以降の日本が初めて直面する問題なわけで、これから様々な事例や知識、知見が蓄積され、処方箋が開発されていくんだと思うんですね。その意味では、今は様々な地域を視察し、何かしらの法則を見いだすという、もがき苦しむ時期なのだ、と思った次第。

ところで、この後、せっかくだからこの古民家に宿泊しようと思うも、2週間前までにWEB経由で予約しなければいけないルールになっておりました。何しろ業務が見切られたのが12日前で、視察対応はわざわざ役場の方がマンツーマンで柔軟に対応頂いたものの、宿泊できず。

結局20km離れたキャンプ場に逗留することになったのですが、そこでは・・・

笠間 建さんが写真4件を追加しました -- 場所: 祖谷渓
10月20日

【トモダチ作戦】
夕食に「それいけ!アンパンマン キャラメルコーン」を食すなど。
ひ、ひもじい。。
な、なぜこんなことに・・・

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日本三大秘境の徳島県祖谷渓の「限界集落の古民家インバウンド観光ビジネス」の里、落合集落を視察。
その後、結局古民家宿には泊まれず、20km離れた山中で台風の影響の雨の中、キャンプ場のバンガロー独り退避するなど、いとおかし

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もとより車中泊覚悟ゆえ、それよりは。

森の深く吉野川の水の音が暗闇で響くここは、寂寥感甚だしき。
お、恐ろしい。。。

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たがアンパンマン・キャラメルコーンのおかげで、勇気が湧いてきたよ!
タケルくん、勇気をあげる!
自分を奮いたたせるため、人が周りにいないことをいいことに、オペラ調ラピュタ語を交えながら、下記のごとく詠唱せり。

おお、アンパンマン
優しき君よ
愛と勇気の二人だけを友とする、孤独な戦士よ
そなたは私と同類
孤独な男
我が戦友
左様に恐れず
皆のために
我に力を、光よ甦れ

リーテ・ラドバリタ・ウルス・アリヤロス・バル・ネトリール

愛と勇気しか、友達いない。

(1時間後)

これが最後のコアラのマーチだ・・・。
神のご加護を・・・!

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(2時間後)

お、俺は夢でも見ているのか・・・?
山中のキャンプ場に、コイン式シャワーが・・・。
百円で3分の極楽
なんかマッチ売りの少女の気分だぜ・・・。

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(2時間半後)

ふいーっ、やっぱ文明の利器ってやつは最高だよ。
思わず200円、6分間もシャワーを浴びちまったぜ。
宇宙ではやれるときにやる、次にいつそれができるかわからないから、って、メーテルも言っていたしな。

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(補足)

視察は計画的に・・・

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その昔、カサマが中学生ぐらいの時、久々に会ったTOKYOに住む叔母が「やっぱりある程度大学は名の通ったところが、イロイロと仕事に有利よねぇ」という話をしているものの、あまりピンとこず、「はて、世の中そんなもんなのかなぁ」「やっぱりTOKYOはおっかないところだなぁ」とか、他人事のように思ったですよ。

しかしその後、ある意味で日本最強の学閥組織であるところの防衛庁(当時)の某A大学校に進学すると、それはむしろ今から見ても生ぐさい学閥社会で、非常に驚いたものです。

それは、某A大学第00期がトップを牛耳っている云々、というのとは真逆で、「某A大学校出身の幹部は部隊で評判が悪く、『A幹(防大か一般大卒で幹部候補生になった幹部)』の中じゃ帝大出身者の評判が高い」「実際、俺たち頭悪いし。私大はともかく、帝大は凄い」みたいな、何か旧帝大にトラウマがあるのか、非常に自信のなさげな話を訓練指導教官が自らするという有様士気下がりまくり。それもそのはず。ちょうどその当時の指導教官(二尉、一尉)はバブル絶頂の頃に卒業し、卒業生の1/4が任官拒否(『隠れ任拒(にんきょ)』含む)をしたカサマよりちょうど10歳上のバブル世代。

当時の部屋長が「兵力の1/3の損害は全滅判定だ。あいつら(バブル世代の某00期のこと)はデビューした時点で既に全滅なんだよ、わっはっは!」と宣い、訓練助教(40代以上のたたき上げの一曹とか)からもやたら「近頃の若い幹部、使えねー。お前達はそうなるなよ」という類いの話を訓練地の消灯後に夜な夜な燃料投下(飲酒)しながら聞く始末

それはともかく、その後、紆余曲折あって仙台でビジネスをしておりますが、ではこの地に東北大学閥とか東北学院大学閥があるかというと、アカデミック界隈では若干あったものの、ことビジネスに関しては全くない。むしろ恩師が「学歴よりも学習歴」とおっしゃっていましたが、実際今や採用面接で「いま研究している内容は?(学部生に聞く・・・)」とか「卒業論文(卒業制作)はどんな内容ですか?(黒歴史で恥ずかしすぎる・・)」とか聞くのが採用マニュアルのテンプレートにあるほど。

そんな世の中だからこそ、カサマはあえてこのセンダイに強大な宮城大学閥構築し、泉区や大和町の影からの支配を試みているのでした。

2017年12月2日11:59

【学閥】
一昨日、宮城大卒業生の14期前後の後輩諸氏と呑むなど。
私は3期生(年齢的には1期生と同じ)なので、「一回り」上の世代ということで、なんてこったい

今や入学者の半数が、県内その他のから優秀な学生が推薦で入ってくる優良大学になっているらしく、卒業生も全国の一流企業に就職。今だったら私は絶対入れないな・・・。
しかし、この日集まったのは、県内に残った「愚連隊」というべき強者ども。起業準備中事業承継準備中、ビジネス支援機関で創業サポート怪しいコンサルファーム所属など、実に頼もしい

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最近、仕事上でも宮城大学卒業生と絡むこと多く(と言うか、弊社の社員でも採用しているし)、着実にこの地域に浸透している模様。

この調子で「宮城大学閥」という最狂の学閥を発生させ、やがでそこから宮城県知事あるいは仙台市長輩出。カサマはフィクサーとして暗躍し、中山方面にモノレール(懸垂型)を我田引鉄し、仙台大観音の県有化あるいは市有化するのが人生の夢なのであった。

(補足)

半数が県内その他から優秀な学生が推薦」というのは一見すると素晴らしいことですが実は注意が必要でして、カサマの頃のように入試で一発逆転リスクテイク型の人間はほとんどおらず、昔と違って今は高校で成績が良かった、比較的優等生タイプ、入試で学力考査がなかったリスク回避型の学生さんが半分以上集まっているということ。果たしてそれは、起業家を育てるシステムとして宮城県、というか東北にインストールされた起業家量産システムとしての宮城大はどうなろうのだろうか・・・?

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その懸念は3年ほど前の2014年に宮城大学の「キャリア開発」という授業でゲスト講師をした際に、確信に変わりました。

「将来、一旦就職したとしても、起業あるいは経営者を目指している人は?」と100人ぐらいの学生達に手を上げさせたところ、なんと2人しか手を上げない・・・。ありゃ?何か言い方が悪かったのかな?と思い、「ちなみに公務員志望の方は?」と試しに手を上げさせると、半数が手を上げるではないか・・・!

その瞬間、ああ、残念ながら東北に起業家エコシステムを構築する構想は、半ば失敗したのだなと非常にがっかりしたのでした。

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(2013年の「キャリア開発」の授業の様子。カサマのビジネススクール(WBS)時代の恩師、杉浦正和先生が宮城大学でゲスト講師。これが縁で翌年カサマが講演)

いや、確かに第1期生が卒業した際に半数以上が東京で就職した結果、県議会議員の先生が議会で「県民の税金を使って育成したのに東京に就職させるなど、カリキュラムに問題がある」という頓珍漢な批判をされた方がいたり(なお、当時はいわゆる「就職氷河期」で県内に就職口がなく、大卒フリーターと非正規雇用が大量に県内に溢れた年)、大学事務局に新しい提案をすると、まだ卒業生もいない新しい大学なのに「前例がない」などと回答する(県庁プロパーの出向職員)など、確かにあの時、伏線があった・・・。

そんなわけで、もう諦めてなぜか最近ビジネススクールの同窓達がセンダイに移住していることから、そっちを中心にしようかと思っていた矢先。

アツい強者(つわもの)どもがちゃんと宮城大学の後輩いて、実に心強く思った次第。

もっとも、彼ら・彼女らは、現在の宮城大学の中では異質な浮いた存在になっていたという話を聞いて、高等教育として、いや社会システムとしてアントレプレナーを育成する難しさを改めて考え、このブログを書きながら一人モニターの前で落涙して眼鏡が曇ってタイピングできなくなる、2017年のクリスマスイブの夜

年間のプロジェクト数を2/3に減らしたのにもかかわらず、平日は連日職場で寝泊まりしなければならないほど多忙。その一方、今年の目標「週に1日は徹底的に遊ぶ」を実現するため、徹夜明けでも登山をするなどしているカサマ。

秋も終わりの11月のある日、面白山山中を彷徨っていたところ、現実感のないバッドエンドの世界に紛れ込んでしまったですよ。

2017年11月4日

【廃スキー場】
狭い登山道から突然開けて、高さ2m近い不思議な「ススキの空間」に・・・いや、違う!
なんだこの違和感、いや既視感
私はここに来たことがある・・・!

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そうか、ここは「面白山スキー場」の林間コースだ。
何十回と滑った斜面。ここで私は高校時代に、ウェーデルンを完成させたんだ。

つい最近まで、仙山線には「駅から降りたらすぐ目の前にリフトがあってスキー場」という、世界的に珍しいスキー場があったんですね。

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しかも冬季はクルマでは来れらず、電車のみのアクセス。車がなくても滑りに行けるということで、学生にとっては非常にありがたく、またカサマは以前北山駅前に住んでいたので、平日中心に年間20回近く通った年もありました。

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わずか5年でメインゲレンデは木が生い茂り、写真では伝わらないのですが、樹高は優に2mを超え、一部は5m以上で滑走不可能

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リフトは一見使えそうですが、乗り場の建物などはところどころ崩壊

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子供の時から友人たちと滑り、社会人になってからは技量を高める場であり、多くの人で賑わっていたあの思い出深いこの広いゲレンデ。

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(写っている「芝」のようなコース状の植物。これ、全部私の身長より遙かに高いという・・・。中央左の松は、高さが私の背丈の倍以上あります。)

たった数年でこの姿。

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この偉大な植物の生命力と、放棄されたリフトと崩壊した建物など、かつての人類の痕跡が残る雄大なスキー場「跡」を独り目の前に、何かこう、「バッドエンドの21世紀」の世界に紛れ込んだ哀しい気分になりますなぁ。

(補足)

1970年代後半に生まれ、現在「アラフォー」世代であるところのカサマ世代は、「ファミコン世代」とか「週刊少年ジャンプ黄金時代」とか「ジブリ映画をリアルタイムに見た世代」とか「元祖インターネット世代」とか、わりとサブカルチャー的には恵まれた世代である一方、「就職氷河期世代」とか「ロストジェネレーション」とか言われ、しまいにはNHKのクローズアップ現代では「アラフォークライシス」という特集で我が国の衰退の最大の原因とまで言われて、人生が無理ゲー、「人生スーパーハードモード」でセレクトボタン連射アツい世代。

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(2017/12/14放送のNHKクローズアップ現代より。この金額、月額ですんで)

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なるほど、確かに我々の世代が本来2000年代前半に三つ目の出生数の山を作っても良さそうなものですが、むしろ合計特殊出生率は1.26人類史上空前の低率をたたき出して子孫も残さず、「幻の第3次ベビーブーム」を現出してしまったようです。

それもそのはず、この世代は380万人という圧倒的多数の非正規雇用を抱え、とにかくカネやその他資産がない。現役世代最大のボリュームゾーン世代で消費の主役のはずのアラフォーにも関わらず、なぜか給料(唯一)下がっていて、そもそも消費できない

最近カサマは、上のバブル世代や下のゆとり世代から「なんで結婚しなかったのか?」「なんで子供産まなかったんですか?」的なことをよく聞かれるわけですが、いや、カネもないし、若い頃、とにかく自分一人生きるだけで必死だったんで。今のアラフォー独身に、その手の質問や結婚話を茶化すのは、戦中派に「どうやって生き残ったんですか?」と聞くのに似ていて禁句だから、やめてさしあげなさい

それはともかく、1980年代から90年代前半という、この国の国力最盛期に子供時代を過ごした世代ゆえ、今見えているものが全て子供の頃よりも衰退しているように世の中が見える。アニメのドラえもんの世界で描いていた、科学文明隆盛で誰もが笑顔の輝かしい21世紀はいったいどこに・・・。

まるで自分がいる今の時代がゲームのバッドエンドの世界を彷徨っているように感じるわけですが、これは燃える、ともい萌える・・・!

ほら、子供の頃、ファイナルファンタジーとかで失われた古代文明の遺跡の世界で戦っただろう?

押井守とかアキラとかの退廃した文明世界を、ブラウン管テレビの前で夢見ただろう?

それがいま、目の前に現実として広がっているんだ・・・・!

結局、廃墟と化した面白山スキー場に悲しみを感じたのは最初の5分だけで、むしろこのバッドエンドの異世界萌えまくって、大興奮で2時間以上写真を撮りながら、まるでゲームの世界に迷い込んだように、堪能してしまった。そして満足げにその場を去った後におそってくる虚無感と言ったら。

後世、おそらく急激な時代の変化を超えた世代と総括されるかもしれません。しかし、その時代を生きた当の本人達としては、別にノストラダムス先生が伝えていた1999年7月アンゴルモアの大王様による劇的な人類的災難があったわけでもなく(むしろ震災直後の燃料が不足した時期の仙台のディストピア感の方が・・・)、明確にディストピアを意識することなく、緩やかにポストアポカリプス(黙示録の後)の世界に無自覚に移行してしまったのかもしれない

マンガ、アニメ、ビデオゲーム・・・。バーチャルな世界でさんざん堪能してきた憧れのポストアポカリプス

それ故の、この感性、この当事者意識のなさこそ、氷河期ロスジェネ世代のなのだろうな、などと客観的に分析しながら、クールに廃スキー場を去る21世紀前半のある日のカサマなのでした。